な、、、なんと骨折!!

98年12月10日 群馬県小野上温泉ですってんころりん!

右のすねを骨折!!

手術後3ヶ月の写真。すねの骨髄に心棒が入っている。指の下部分が骨折部。(右側が足首側)

入院日記(12月10日〜1月12日)

事故発生

12月10日(木)

午後545分 群馬県小野上温泉にて職場の忘年会。

宴会前に露天風呂から内風呂へ移動中のステップを降りたところで,転倒。

右足を内側に捻って、体重が右足すねにかかり、足首から15cm位上を骨折。

バキッ音がする。肉眼で、骨が折れた状態を確認。

風呂場内の社員に抱えられて脱衣場で、車いすを待ち、救急車で渋川関口病院にて、骨をつなぐ。

骨を引っ張るので痛い(治療費用13,500円也)。

高崎日高病院に空きベットがあり、足の固定処置後再び救急車で移動。

部屋は南棟4階400号室。8人部屋。

9時頃、妻が同僚社員にに付き添われて面会。妻より「ドジ!!」の一言。

30年ぶりに尿瓶で小便をたす。夜中中、色々気になり。

熟睡できず。寝返りができないので腰が痛い。

12月11日(金)

主治医は田村先生。妻午前11頃面会。

先生より、水曜日に手術予定、術後1か月後退院予定(1月下旬)。

足に心棒を入れる。

車いすが与えられたので、トイレが楽になる。 ノートパソコンが手に入った。

腰が痛くて3時間以上寝ていられない。

12月12日(土)

朝から血糖値検査、食前、食後2時間、4時間で計7回。

抗生物質の検査(薬2種類)。車椅子に大分なれる。足の腫れが自覚できる。

医師より、月曜午後に手術内容、スケジュールの説明がある。

妻、子供達が面会。相変わらず姉妹けんか。身の周り品が大分整う。

 夜中3時に腰が痛くて目が覚める。

院内を車椅子で1時間ほど散策。

12月13日(日)

髭をそり、髪をとかして気分爽快。

午前9時頃、メールでわび状を上司へ送る。

少し風邪ぎみで喉が痛い。 足の腫れが強くなった。

12月14日(月)

午前3時に、腰が痛くて目をさます。1時間ほどフロアーで休息。

 午後、田村医師より、手術説明を受ける。

手順;(1) 膝の下の脛を切開し、心棒を骨髄部分に足首部分まで入れる。上部は2本のボルトで固定。

(2)細い骨は、自然治癒で直る。

(3) 脛の骨折部分にひびがはいっているが、もし、破損すれば、切開して補強。

骨折部分に、血のかたまりなどで骨が密着できないときも同様の措置。

 (4) (1)のみであればほとんど出血なし。輸血による事故はさけられる。

 (5)下半身麻酔。

 (6) 脛の骨の周りには血管が少ないので骨が形成しずらい。

(7) 術後1ヶ月はギブス。その後装具をつけてリハビリ約2〜3ヶ月。

( 8) 半年くらいで骨が完全に形成。

(9) 1年後くらいで、心棒を引き抜く。

(10) 本格的なマラソンは1年半後。

夕方、リハビリの先生より、暇なときには足の指を動かすように指示うける。

動かさないと、骨折部に筋がくっついて指が動かなくなるとのこと。さっそく実践。

午後2時頃、吹澤主査、山口主査、長主査がパソコンとプリンターを届けてくれる。

12月15日(火)手術前日

夜中2時に腰の痛みで起きる。10時半に回診。

足の毛をそる。包帯巻き直し。妻が自動車の仮免許合格。

12月16日(水)手術日

手術のため、朝食から夕食まで抜き。

点滴で、水分と栄養分を補給。浣腸で腸の中を掃除。

部屋を405号室に変更となる。看護婦さんは出世部屋だという。

手術を前に縁起がいい。妻が正午に面会。手術は1時半予定。終了は4時頃予定。

1時40分。手術室に向かう。3階奥にある。入口で整形の看護婦から、手術担当の看護婦へ引継られる。

一番奥の一番の大きな手術室を使う。

通路は壁も天井も緑系で統一されており、まるで、ディズニーランドの宇宙船に入っていくような雰囲気。

手術室も緑色で統一。ピアノコンチェルトが流れている。

主治医の田村先生他4名いる。まず頸椎麻酔。3度注射したようだ。

さすがに痛いが3度目はしびれてよくわからない。手術台に載せられる。両手を広げ、右足は手術用の台に膝を折り曲げてのせる。

丁度天使が空にまっていくような形。既に両足は全く感覚がない。

自動的に血圧と心拍を見ている機械の音とピアノコンチェルト、手術スタッフの声だけが部屋の中で響いている。

落ち着きのある雰囲気で、緊張感を和らいでくれる。膝の骨のずれをなおす。

レントゲンのような投影図がブラウン管に写しだされる。

次に右足全体に赤い消毒液をぬり、電気メスで膝の下あたりを切開。

すねの骨にドリルで穴をあけ、骨髄部分に針金をとおす。

看護婦さんからこれから「大工仕事のはじまりです」と説明を受ける。

医師の会話から概ね35cmくらいは骨に差し込まれているようだ。

穴をあけるとき焦げたにおいがした。 針金は顔の前方上部50cm位の位置にある。

シートで手術している箇所を見ることはできないが、骨に何をしようとしているのかは、ブラウン管の投影図とリード線になる針金でよくわかる。

骨髄部分を削って穴を大きくするために先端がドリルになっているピストル型のドリルを針金に通して押し込んでいく。

はじめは口径9mmで順次口径を広げ12.5mmまで計8回ほど繰り返す。

骨折部分がスムーズに通過しなければ骨を破損し、更に追加の手術が必要となる。

ときどき、骨折部分で引っかかると冷や汗がでる。

モニターでもひっかかり具合が確認できる。

途中、ドリルの調子が今一つでネジを交換したりする。

故障したらどうなるのであろうと考えると気が気でない。

骨髄の穴を確保すると、口径11mmのパイプが入れられる。

見た目はかなり太い。こんなものが骨の中に入るのかと思うと不思議だ。ここで登場するのが金槌。

すねの骨の先端ぎりぎりまで打ち込む。 最後の仕上げは骨の下部でボルトを2本いれる。

3.5cmと5cmの長さ。

ボルトを挿入する箇所のみを切開しドリルで穴をあけボルトを通す。モニターで確認できる。

 後は、切開部分を縫合して終わり。

手術は予定した行程を終了。医師によると成功だそうだ。午後4時半にベットにもどる。

 田村医師から、今後の予定は、1週間後から足首のリハビリ開始。同時に装具の製作開始、3週間後の1月6日頃から装具をつけて歩行訓練。

1月末にはなんとかなるか? 麻酔が切れ始めたのは夜8時頃。右足の指が動き、手術部分の痛みを感じる。夜9時ころから、痛みが激しくなる。座薬を入れるが、あまり効き目がない。

11時、注射を打つ痛みが一時間ほど消え、まどろむ。

しかし、足の指をおもいっきり引っ張られているような痛みで我慢できない。

呼吸は荒く、思わず声がでる。声を出さないとがまんできない。

情けなくなって涙もでてくる。痛み止めも本当は6時間空けなければならないが、3時間近く立ってから特別に打ってくれると励まされる。

それまで、がまんのしどころ。午前1時、座薬をいれる。

体温は38.5度、効き目がない。午前3時、2度目の注射。

薬が効いている間は良いが、切れると激痛。

午前5時、3度目の座薬。これで峠をこえた。ちょっと仮眠したようだ。

地獄の一夜であった。

(ちなみに、手術代金は保険がきかないと、50万円なのです。)

12月17日(木)

午前10時の回診時は、まだ座薬がきいているのか、熱も37度前半だが痛みは和らぐ。

医師の話では2、3日は痛みが続くという。勘弁してほしい。午後2時頃同僚が面会。

夕方から足が腫れてきて痛い。

午後10時、座薬を入れる。午前3時まで熟睡。効き目があった。

朝6時近くまでまどろむ。入院して始めて熟睡できた。

12月18日(金)

回診では消毒をする。

傷口に黒の糸で縫合されされているのが確認できる。消毒液がしみる。

トイレと洗顔は車椅子使用の許可がでる。特に大便は助かる。

洗顔も気分転換に最高。早速トイレにいくが、何となく、筋力が落ちた気がする。昼に会社にメールの返事を出す。

PHSの電波があまり届かないので、何回かやり直し。寝ながらの作業なので疲れる。

1時間ほど仮眠。2ヶ月休業の診断書をもらう。

夕方から、足の張り、骨折部分、切開部分が痛む。看護婦さんいわく、午前中に無理をしすぎたせいではないかと指摘される。

安静にしていると、痛みが和らぐ。

午後11時まで一眠り。その後夜中の2時過ぎまで目がさえる。

夜中の小便は溲瓶に変更。これ以上痛い思いはごめんだ。

5時すぎに足の張りで目が覚める。

今晩は薬なしで一夜を過ごせた。熱は37.5度。

12月19日(土)

回診で消毒。まだ骨折部分の足は熱い。

指をそらす運動と少し足を左右上下に動かす練習をするように指示がでる。

回復に向かっている。37度丁度。足の指は今までよりも良く動くような気がする。

昼過ぎに、自主筋肉トレーニング開始。

帯を利用した左足トレーニング、500mlペットボトルで両腕、腹筋。約15分程度。

医師からの指示の通り右足を上下左右に動かしてみる。

右足を動かすのは恐怖感があったが、以外と楽で夕方にも実践。

夜になっても足の張りは前日より引いている。

4時半頃妻が面会。パジャマ、下着の取り替え。

夜寝付けず11時近くまでテレビを見る。

夜中1時、巡回中の看護婦さんに気づき目が覚める。3時に足の張りで目が覚める。

寝付かれず4時過ぎまでまどろむ。

12月20日(日)

6時の検温は37度。昨日と同じ。眠い。 夜中2時過ぎまで寝られなかった。

足の位置をずらしたせいか、しびれる。3時頃看護婦さんに手伝ってもらい、まどろむが、しっくりいかない。

腰に湿布をしたので、腰の痛みは無くなる。

12月21日(月)

朝、36.6度、回診時37.2度、幾分体温は下がってきた。

今朝から1日2度の抗生物質の点滴から錠剤(痛み止め、胃薬、抗生物質)にかわる。

回診でふくらはぎが腫れているのがわかる。

自然治癒で内出血組織を分解させるため、1ヶ月位は腫れがひかないとのこと。太股下部が大夫細くなっている。

膝周りの筋肉を落とさないようにするため、足上げを頻繁にすることを指示される。左足の訓練も同様。

早速実践、左足は3分/回を1日5回、右足は1シリーズを20秒/回*5回として、1日4回実施。

夜、妻が面会。子供たちは病院が楽しい場所でないので、来たがらないようだ。

午後9時過ぎから夜中1時頃までねる。腰の当たりが汗でびっしょりとぬれて目が覚める。

その後は朝5時までねる。薬を使わず、やっと熟睡できるようになる。

12月22日(火)

寝起きの足の具合は、今までにない快調感。熱っぽい感じがしたが、36.8度、回診時36.7度。

体温が安定してきた。

根岸医師(手術に田村主治医と一緒に担当)から、木曜日に抜糸、装具型会わせ(膝の下からつま先までのブーツで半割構造)、

リハビリセンターで足首と膝の曲げるリハビリを開始する予定。

太股は明らかに細くなっている。看護婦さん曰く、3日で数%減少するという。

自主トレは欠かせそうもない。 今日2人入院で8人部屋が7人の患者で埋まる。

病院内が乾燥していて、声がかすれてきた。

自主トレーニングに力をいれる。午後3時頃から体が熱く、頭も痛い。

検温すると36.7度、37度と平温なみ。夜に入っても変わらない。

夜中に汗が出る、やっと、すっきり。昼間足を動かし過ぎて疲れがでたのか、軽い風邪なのかはっきりしない。

夕方と夜に同僚、上司が面会。

人事日程と退院時期をしきりに気にしていた。異動があるかも。

早く退院したいとの気持ちが募る。

12月23日(水)

6時の検温36.3度。足が若干腫れた感じが残る。

1日がかりで年賀状印刷。昼間、家族が面会。洗髪をしてもらって、すっきり。

子供たちはあいかわらず大騒ぎで姉妹喧嘩。

11時頃から朝6時近くまでよく眠れた。

12月24日(木)クリスマスイブ 

手術から1週間目(入院から2週間目) 回診で抜糸は来週とのこと。

傷口はきれいだし、急いで抜糸する必要はないとのこと。足上げのリハビリを再度進められる。

昼に同僚の面会あり。

午後1時レントゲンをとる。直径1cmほどのパイプと2本のボルトが鮮明に写っている。

骨折部分は少し隙間がある。午後3時半ころ副支店長が面会。

転居を伴う移動があるらしい。県外であることはまちがいない。

何処に行くかはお楽しみ。面会中に装具屋さんが型取りにきた。

処置室で石膏をしみ込ませた包帯で足を巻き付けて型をとる。

かかとに久々に地面の感触を得る。恐る恐るだが、足首、膝が曲がる感触を得た。

早くリハビリをしてみたいと思いは募る。

仮合わせは1月7日、納期は遅くても14日だ。待ち遠しい。

看護婦さんから年末年始の外泊が認められた。

家族と相談して決めることになる。

松葉つえを借用することになる。夕方、同僚面会。

明日支店長から内命があるという。

東京のようだ。1月25日任命。退院時期が微妙。

明日先生に相談しなければならない。

わざわざ、北海道から見舞いに来た両親に面会。

状況をひととおり説明して安心してもらう。

テレビを11時すぎまで見るが寝付かれない。

あわただしい1日であったが、明日も色々ありそうだ。メリークリスマス。

12月25日(金)

朝6時前に目が覚め、早めに洗顔してすっきりする。

回診時、田村医師に退院時期など相談する。

14日に装具ができた後何日かは松葉つえをつかいながら歩行訓練をして退院可。

後は会社の休みの土曜日に通院リハビリでよいとのこと。

松葉杖をつかった歩行は4月までかからないであろう、とのこと。

膝と足首のリハビリの申込をしていただいた。

午後から開始か?2週間ぶりに、シャワーで体、頭をあらう。

お風呂の洗い場は幅があるので、浴槽に足をのせて、イスに腰掛けて洗う。最高の気分。

年内はこれが最後であろう。

足の包帯の巻き方を教わる。

歩行訓練が始まった人たちは皆一人でやっているそうだ。

足首を3度巻きで固定して8の字をえがいて足の甲を巻く。膝の方まで巻き上げて、膝でも8の字を描いて太股で巻きおわる。

途中包帯がよれてきたら包帯を反転させて巻く。

足首と太股部分がしっかり固定されていればずれないとのこと。

なかなかノウハウが蓄積されている。あわただしい午前であった。

午後、松葉杖が貸与された。なかなか、使い勝手が良い。さっそくトイレにいく。

午後2時半、支店長、総務課長が面会。

支店長から内命をいただく。新宿勤務。 治療経過によっては、1ヶ月まで赴任延伸がができるとのこと。

日が迫ってから人事課長と相談することにした。一安心。

けがをした当日の様子を説明した後、雑談で支店長が学生の頃、顔面の頬骨骨折や盲腸で入院した話を伺う。

和やかに話を終えた。

4時からリハビリセンターで初のリハビリ開始。担当者は神戸さん(若い女性;未婚)。正式名は理学療法士という。

筋力トレーニング(10Kgの重さを足に負荷させた足上げ運動とゴムを使って足を開く運動。それぞれ片足30本ずつ)、

ギブスをとって、膝曲げ90度の屈伸。

足首屈伸。今日明日と膝と足首の状況を確認するのが目的。全行程1時間。程良く汗ばみ、心地よい。

運動することの喜び、普段の足の感覚が戻ってきて気持ちがいい。

1Kgの塩を売店で買う。筋力トレーニングの自主トレのおもりに使う。今日一日いろいろなことがあってうれしかったが疲れた。

12月26日(土)

昨晩は運動疲れで夜中12時頃から朝6時過ぎまで熟睡。

入院して始めて夢をみた。

内容は覚えていない。

松葉杖で洗顔に行く。

脇腹が痛い。慣れない松葉杖が巻き腹に時々荷重ががかかったようだ。

朝7時に整形の医師のリーダー宇野先生が巡回。

正月休み中もギブスをはずして、膝と足首のリハビリについて許可がでた。回診は根岸先生。

月曜日に抜糸。今日から包帯を自分ではずして膝の曲げ伸ばしの自主トレーニングをするよう指示される。

昼食まで1時間ほど、膝の屈伸を行う。午後2時半、リハビリセンターへ行く。

神戸先生休みのため今日は明(あき)先生。昨日より膝が90度以上曲がる。

足上げも膝周りの筋肉が上手に使えるようになった。自主トレは欠かせない。

消灯前にも足上げをしたので、計6回の自主トレを実施。12時すぎまで読書。

12月27日(日)

寝不足気味で目が覚める。自主トレ5回。膝曲げ1.5時間。夜中2時まで眠れない。

12月28日(月)

回診、田村先生により抜糸。同僚の面会多数。

 2時半よりリハビリ。いつもの筋肉トレーニング、膝曲げののあと、うつぶせで自力で膝曲げ。

足首曲げ。

座った姿勢で足曲げ30回。お手玉を20個を一づつ足の指でつまんで箱からイスへ、イスから箱へ移動させる。

これが結構疲れる。

うつぶせの足曲げは仰向けの時より楽なのだが90度以上曲げようとすると足がふるえる。

神戸先生曰く、筋力の衰えと不慣れなせいだそうだ。

明日は年内最後のリハビリ、午前9時から、ほぼ同じメニューとのこと。

当面の課題はうつぶせでの足曲げだ。

リハビリの疲れと寝不足で、早めに就寝。夕方、夜の自主トレは休み。

小説「逃亡」をよみきる。

感動して涙がでた。戦争は悲惨だ。

12月29日(火)

6時半に起こされる。寝不足は完全に解消していない。まだ、頭がすっきりしない。

食事を挟んで、昨日のリハビリの復習。

仰向けの足曲げは昨日よりスムーズに曲がる。

うつぶせでの足曲げも膝や腿に力を入れることができ昨日より曲がっている。

筋トレも1クール行う。今日で年内のリハビリは終わりなので、9時に変更。

昨日と同じメニューを開始、神戸先生も曲がりが良くなったのを認めていた。

うつぶせでの足曲げは、先生の補助でほぼ完璧に曲がる。

あとは自力で曲げる練習のみ。

明日から自分でできるでしょうと言ってくれた。

膝は復調するのは時間の問題だ。

足首はまだ堅いが、痛いと感じるところで曲げていくと少しずつ曲がってきた。

次の課題は足首だ。リハビリの終わりに太股の筋肉の回復について聞いたところ、太股の太さを図ってくれた。

膝から5cm、10cm、15cmの3カ所、両足の太さだ。

正常な左は膝に近い方から38cm、41cm、44cm。左は35.5cm、38cm。41cm。

太さの差を3cmより広げないようにするのが良いとのこと。ぎりぎりだ。

5日後の1月4日に計測して、差が広がらず維持できているのが最低条件。太くなることもあるそうだ。

特に正常な左は少しずつ太くなり、右が太くなっても相対的にわかりずらいそうだ。筋トレ次第で太くなることもあるとのこと。

冬休みの目標が3つできた。

(1)うつぶせ足曲げが左右同じにできること。

(2)足首の曲げが正常に近づくこと。

(3)太股の太さ、両足の差を維持し、できれだ太くする。チャレンジあるのみ。

回診は根岸先生。抜糸後をみて、消毒も傷口の包帯もなし。傷の治療は終了とのこと。

薬も年内で終わり。足が痛めばその都度投与するという。

大きく前進した。7人の患者の内今日3人退院。1人は外泊だ。

3人で大晦日まで一緒。他の部屋も外泊患者が多く、がらんとしてきた。

寝付かれないので、夜11時に自販機で冷たいウーロン茶を買ってロビーでしばし休憩。

12月30日(水)

入院から3週間目 昨晩はよく寝られた方だ。

朝食前に筋トレ。朝食後から膝、足首曲げ。昨日よりスムーズに曲げられる。

足首も正常に近づいた。もう少し。

うつぶせの足曲げも何とか正常なみになった気がする。

明らかに昨日より進歩している。

正午近くになると、ここ数日眠たくなる。

昼食後に筋トレ、膝曲げ。夕方にも自主トレ。

夕食後、妻が入浴の手伝いできたが、時間制限があったらしく。

明日に変更。家族の様子など雑談。

年末の特集番組を見て12時近くに就寝。

12月31日(木)

朝、毎度のごとく眠たいが、トイレ、洗顔で今日も快調な一日のはじまりを感じる。

1年の最後大晦日だ。

いつものように朝食後から自主トレ開始。10時半田村医師回診。

膝、足首の曲げ具合で、早い回復との診断。

装具ができたら松葉杖を使った階段の上り下りの練習をするとのこと。

足の微熱は内出血の反応熱。炎症、ばい菌ならば足が赤くなるとのこと。

筋トレは支障ないとのこと。午後3時、妻が迎えに来た。

風呂で今年最後のシャワーを浴びて、外泊準備。

タクシーで家に向かう。

久々の外の空気は冷たいがおいしく感じる。

久々に、子供たちとカルタで遊んだりして和む。

鍋料理と手巻き寿司で夕飯。ビール大瓶1本おいしく飲み干す。

紅白歌合戦をみて、夜中に妻とゴジラのビデオを見る。

夜中3時に就寝。

1月1日(金)

10時頃起床。高崎からスタートした実業団駅伝を見る。

家の前を通過するのが見えた。

お雑煮をみんなで食べる。神棚にお供えしておまいり。

私は、足下が危なっかしいので中止。

年賀状を長女が取りにいく。

何人かはけがの事を知っていて、心配してくれている。

マラソンの様子を聞いている賀状もある。

なんと切ないことか。来年の年賀をどう書こうかと気になる。

子供たちとかるたで遊ぶ。

7時頃夕飯はすきやき。

お腹いっぱい。缶ビール代一本飲む。11時までテレビを見て寝る。

筋トレは昨日今日で4回程度だが、終日足曲げトレーニングに徹する。

1月2日(土)

10時頃起床。箱根駅伝を見る。昼過ぎに今年最初の夫婦喧嘩。

転勤先の住まいのの話がきっかけ。

毎回転勤する毎に喧嘩してしまう。一人で風呂でシャワーをあびる。なんとかできるものだ。

退院してからの自信になる。高校サッカーを見終わって4時過ぎ。

タクシーを呼ぶ。妻に気まずい思いを残しながらも、子供たちと玄関でお別れ。

あと2週間ほどの辛抱。わびしい。タクシーの運転手さんも手を突いたときに腕を骨折した経験があるそうだ。

3階から転落して全くけががなかったこともあるそうだ。

運が悪いときには仕方がないねと慰めてくれた。

とにかく、1日も早く直すことが今の生活のリズムを変えて元に戻れる。

寄り道はもう止めたい。

私の40才代は、仕事はまずまずと思っていたが、今の境遇を見ると総じて多難はスタートだ。

4日は41才災い転じて福となしたい。

今夜の405号室は私ひとり。色々物思いにふけることになりそうだ。

1月3日(日)

6時半起床。眠い。筋トレと足曲げで一日終わる。

昨日のことで気が重い。夕方、社宅の希望調書作成。

1月4日(月)

41才の誕生日。6時半起床。眠い。11時回診。宇野医師。

田村医師。装具ができたら退院、通院できるとのこと。

正月に外泊していることだし、外出してもかまわないとのこと。

骨がしっかりできるまで1年くらいかかる。

それまでは、装具と骨の心棒で固める。

レントゲンで装具をはずす時期を考えるとのこと。

これまでのように急激に細くはならないが、足はまだ細くなっていくとのこと。

筋トレは欠かせない。退院時期は別途、装具ができてから相談。

なんとか、18日の発令日からは出社したいものだ。

午後、面会してくれた同僚と新年あいさつ。皆元気そうだ。

リハビリで神戸先生より、膝は大丈夫、足首はもうちょととのこと。

足首を風呂に浸けてマッサージ。

回診で言われたことを含めてこれからのことについて色々聞いてみた。

足が今より細くなるのはいたしかたない。

装具をはずしたとき、膝ががくがくしないようにするためにも筋トレは欠かせないとのこと。

長時間や日に何度もやるよりも、1日朝晩の2回、30分づつ続けるのが効果的だそうだ。

装具がはずれると筋力が付き始める。

最終的に足の太さが戻るのは半年から1年かかる。

装具をはずす時期は、骨の状態で千差万別。

若い人は、体が元気なだけに無理しやすいので、年輩の人より少し長めに装具をつけさせるという。

早く装具をつけたい思いが募った。

会社へのメールが再開できた。41通もあり、全部見るのに一苦労。

大学の同期に新年のメールを送る。けがのことも書き加えた。

7日に会合がある会社の同期会のホームページにも掲載。

どうせ後でわかることだと思い、けがのことも書いた。

なにか、胸がすっきりした。

1月5日(火)

6時半起床。新しい患者が3名増えた。回診は根岸先生。

装具について聞いてみると、すねをしっかりガードして、足をつくタイプ。

心棒ががっちり入っているので直接荷重がかかってもよいとのこと。

ただし、いきなりは無理なので、杖で補助しながらになるという。

無理すると足が腫れてくるから焦らないようにと指示を受ける。18日以降の退院になるのかも。不安は消えない。

1月6日(水)

6時半起床。回診は根岸医師と宇野医師。

宇野医師曰く、「折れた先は、何かしら100%にならないものだ。

しびれがあったり、少し曲がりが良くなかったりするのはしかたがない。

木の幹に切れ目が入るとその先が、発育がよくなくなるのと同じだ。」 

装具は、膝までのブーツタイプ。足に荷重をかけられる。

リハビリで神戸先生曰く、「膝、足首の間接には異常がないから、少しずつ元に戻るから心配ない。」

 うつぶせでの膝曲げはお尻についた。

大丈夫とのこと。足首はもう少し。

自分の足を見ないで曲げると、良く曲がる。

案外繊細だと冗談をいわれた。 装具をつけて、足に痛みが入らない範囲で荷重をかける。

どの程度にするかは医師から指示がくる。とのこと。

更に、通勤経路は必ず下見をすること。

エレベーター、エスカレーター、階段などよく調べて置かないと混雑したときに事故のもと。

22日金曜日あたり、下見でもすることにしよう。最後の日帰り出張だ。

明日の装具の仮合わせが楽しみだ。夕方、家に電話したら、

のぞ美が出てきて、妻は調子が悪くて横になっているという。

風邪でもひいたのだろうか。心配の種が一つできた。

1月7日(木)

装具仮合わせの日。入院してから4週目、手術から3週目。

6時半起床。屋上のコインランドリーまで行ってみる。途中は階段。

なんとか上り下りしたが、危なっかしい。着替えも十分あることから、当分無理しないでおこう。回診は荒牧医師。

足を延ばして、膝が十分伸びているか確認した。

膝と足首は硬くなりやすいし、太股の筋肉は落ちやすいから筋トレなどしっかりするようにとの指示をいただく。

回復は順調といえそう。昼食後、装具屋さんが来た。

予想していたのとほぼ同じイメージだったか、けっこう大きく、足を入れてみると重い。

1Kgはありそうだ。

膝の部分を曲げることのできる細工がある。荒牧医師がきて、両足で立ってみる。

痛みがない。徐々に体重をかけてみる。通常の半分位かけてみた感じだが、痛みはない。

いけそうだ。安全のため、当分は膝を固定したリハビリから始めるという。

18日からは出社したい旨をつたえたところ、早くて土曜日、遅くても火曜日には納品になる。

今日は、体と心が少し晴れやかになった。夕方4時、会議資料の打ち合わせ。色々忙しい1日であった。

でも、日常生活の匂いのような物を感じた。

1月8日(金)

朝9時に予約していた風呂に入る。朝風呂は気持ちがいい。回診で田村医師に月曜日の外出の許可を得る。

メールで支店長への引継資料の確認など、職場から入ったメールに回答する。午後、人事部長面会。

退院時期を確認して、予定通り25日着任の手続きをとってもらう。事は動き出した。

続いて、同僚へ引継資料の打ち合わせ。職場では風邪ひきさんが多いようだ。

月曜日は気をつけねば。会社の理髪店に月曜2時半で予約を入れる。月曜日の準備は終了。

後は、明日、装具が来ることを楽しみにするだけ。リハビリでいつも通りのメニューをこなす。

月9日(土)装具完成

11時に装具屋さんが、納品してくれる。

田村医師が付き添う。リハビリで歩く練習を始めるとの指示があった。

自分で取り付け、取り外しを試してみる。こわごわ体重をかけてみる。

何とか成りそうだ。午後からのリハビリが待ち遠しい。

同室の患者さんからも興味津々で話しかけてくる。

リハビリは明先生が担当。男性の後閑先生も加わる。

いきなり歩けといわれたが、ちょっと無理なので断ると、平行棒のところで右足に荷重をかける練習。

はじめは5Kgくらいしかかけれない。

体重の3分の2の40Kg位かけないと、一本の松葉杖で支えられないと言われ徐々にかける。

30Kg、35Kg、40Kg、45Kgと徐々にかけられるようになる。

慣れた頃、今度は平行棒に捕まりながら歩く。

骨折部には痛みがないが足首や内側のくるぶしに痛みが走る。

体重の乗せ方がわるいらしい。

踵から親指の付け根にかねてスムーズに体重移行させなければならない。

これも、程なく慣れる。次は一本の杖だけで、歩く練習。

体重移動がスムーズであると、足には痛みがない。

歩くことがこんなに難しいことかと感じる。

健康なときには全く意識していないことも、歩くためには、ちゃんとした理屈がいることがわかった。

後閑先生から、「月曜日は杖なし歩行の訓練。

なれたら、階段の上り下り。週末には退院できそうだ。」と言われる。

また、「がんばりすぎないように。

踵が痛くなったり、足首が痛くなったりするので、気をつけて。大丈夫だから。」とアドバイスを受ける。

ほっとした。

リハビリの帰りは気分壮快。

部屋に戻ると、家族がきたようだ。

ベットのタオル、着替えが置いてあった。

みかんがおいてある。

子供たちが食べたらしい。ミカンの皮ががゴミ箱にあった。

5時頃、電話すると長女がでた。

妻は疲れがでたらしく横になっているという。

本当に済まないと思う。

長女に、今日歩くことができたこと、週末には退院できそうなことを伝えると喜んでいる。

家族と過ごせるのも、もうすこしだ。夕飯前に、同僚が面会。

休みなのだが、月曜日の会議資料で営業部と打ち合わせたようだ。

人事の話や仕事の様子を聞いた。

当面のスケジュールを確認して、終了。

明日は日曜日、無理はできないが、筋トレ、歩行訓練をしなければならない。

看護婦さんが、明日は訳の分からない筋肉痛がでたり、歩き方を忘れるかもしれないといわれる。

新しい段階に踏み込んだのだと実感する。

今日は少し興奮気味で寝づらいかもしれない。

1月10日(月)入院して1ヶ月が経った。

7時過ぎに起きる。眠い。看護婦さんのいう訳の分からない打ち身はない。

毎日日曜日みたい物だが、日曜日という気持ちになって、気がゆるむ。

朝食前に、筋トレを済ませ、食後に早速、装具をつけて昨日の復習。

はじめの一歩が慎重になり、かつ緊張する。松葉杖があると、楽に歩ける。

内側のくるぶしに痛みが入るが気になるほどでない。

徐々に慣れたので、杖の替わりに廊下の手すりを補助にする。

慣れた頃に、通路や部屋の入口で手すりが途切れるところは、手すりがあるつもりで、手放しで歩く。

はじめはぎこちなく、痛みが走るが、慣れるに連れて自然な動きに近づく。

明日の予習はこなせそうだ。

30分程で終了。無理はできない。昼食後に筋トレ。

夕方近くに、再度練習。

午前中と同じメニューで進める。

杖なしで歩ける自信が増した。

40分程で終了。装具をはずすと足全体が火照っている、じわっとしびれていてけっこう疲れているのがわかる。

装具の重さだけでも1Kgをこえるのだから、筋力の落ちた足の負担は大きい。

1月11日(火)

6時過ぎに起きる。昨晩は10時すぎにねたせいか目覚めは良い方だ。

今日は、午後外出のため、9時からリハビリ。

その前に、いつもの筋トレと歩行訓練(10分程度)。まずまずの調子。

リハビリはいつものメニュー。

筋トレ、足の指でお手玉拾い。

新たに、重石を乗せたタオルの上に足を載せ、足の指でと足の裏でタオルを摘みながらたぐり寄せる。

指の運動とアキレス腱が鍛えられる。慣れるとスムーズにタオルを引き寄せられる。

最後は歩行訓練で終了。

神戸先生は、大宮からの埼京線は大変込むので心配していた。

11時過ぎ、宇野医師と田村医師の回診。

宇野医師より、退院の許可が出る。明日夕方退院する事にした。

階段を使わないようにして、エスカレータ、エレベータを使うように指示される。

大宮駅、新宿駅には身障者用のエレベーターがあるらしいので、よく調べておいた方が良いとのこと。

暖かくなる頃でないと、骨がつながらないからそれまで、装具のお世話になるとのこと。

11時半に予約していた風呂でシャワーを浴びる。

病院でのお風呂もこれが最後。

日記を病院で書くのも、ここまで。

昼の外出でパソコンを会社へ運ばなければならない。

書類の確認、保険の確認、理髪と今日も色々ありそうだ。

続きをかくのは、会社で書くことになるだろう。

1月12日(水)ついに退院

昨晩なかなか寝付かれず、されど、6時過ぎに起きる。

少し眠いが、晴れやかな気分。回診は、宇野医師と根岸医師。

少し足がはれるから、無理しないでと助言いただく。

午後のリハビリは、筋トレにつづいて、装具の膝のフックを解除して腿の筋肉に荷重をかける練習と階段の上り下り。

明先生や後閑先生は退院を喜んでくれた。

神戸先生は決して無理しないようにと心配してくれた。

特に階段は必ず手すりを使うように釘をさされる。

筋トレもしっかりやってとはげまされる。

部屋からも2人退院。衣類など身の回りを片づけて、後は妻を待つだけ。

4時すぎ、妻がくる。

部屋の患者さん、看護婦さんに挨拶して、受付で支払いを済ませて。

帰途につく。正月の外出と違う喜びがある。

やっと、普通になったと実感。家で、子供たちが待っている。皆喜んでいる。

食事をすませ、妻や子供たちの後に風呂に入る。

とにかく、ほっとした安心感が部屋にもどった。

二女は病院にまた帰るのではないかと心配で何度も聞く。

家族の絆を実感。

缶ビールをあけて、明日は出勤するという緊張感がほどよくでてくる。熟睡。

その後の経緯

1月18日 東京新宿へ着任。

2月13日 診察の結果、装具をはずす。

2月16日 4日に切れた免許更新完了。

3月29日 高崎から高田馬場の社宅へ引っ越し。

4月 5日 診察の結果、通勤往復10Kmをウオーキングで筋肉トレーニング開始。

4月24日 診察の結果、運動系(ジョギング)の許可がでる。

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