129.豊前街道(熊本)
2014年6月28日転勤で浅草から熊本へ単身赴任。
昨年から、頻繁に出張で熊本へ来ていたのだが、プロジェクトや本格的な事業の拡大のため7月から拠点を熊本に置くことになった。
会社に30年以上努めて初めての単身赴任。市内のマンションを社宅で用意してもらった。
昨今は、家具、電化製品付きでマンスリーマンションが整備されているようで、引っ越しには大変便利になった。
ダンボール6個程度で、すぐに生活ができるのは大変便利。
東京都と比較して物価もの少し安いので、家賃も安いようだ。
九州は、出張で来ることが多かったが、プライベートで来た時も含めてなんとか時間を調整して、
福岡、小倉、長崎、鹿児島、宮崎、延岡、沖縄、宮古島などウルトラマラソンやジョグなどで楽しんできたが、
これからは思う存分鼓動、街道巡りなど走りを堪能できるので、
仕事の大変さを忘れさせてくれそうだ。
今回は、昨年の日向街道を走破して以来のの街道めぐりとなる。
赴任して間もない事もあり、夏休み返上で業務の立ち上げをしつつも、
日頃のストレス解消のため休日を使って豊前街道巡りの計画を立てた。
2014年8月10日 午後12:20晴(熊本城〜植木、田原坂に立ち寄り) 44.3Km
マンションを出て、熊本城西側にある札の辻が街道の出発地点。
熊本城内を抜けて城外に出て京町を北上。
往生院、山伏塚を立ち寄り国道3号線に合流。
四方寄街では御馬下の角小屋と四方寄町六地蔵付庚申塔の写真を撮る。
二里木跡は標識だけが残っている。
明徳町では、旧道に入り明徳官軍墓地を見て旧道を北上。
向う坂は西南の役の戦場跡で、河原林少尉戦死の地、墓標がある。
植木天満宮を立ち寄り、植木町に入る。
ここから旧道を離れて、西南の役の激戦の地である田原坂へ向かう。
西へ向かう途中で、日露戦争の203高地の戦いで有名な乃木少佐の立ち寄った舞尾の板碑 千本桜を通過し
田原坂の手前で、七本官軍墓地、
七本柿木台場薩郡墓地を立ち寄る。
田原坂の記念資料記念館で、説明員のおばさんから当時の話を伺う。
来年には、新たしい記念館ができるそうだ。
一度見たかったぶつかり合った鉄砲玉の展示も確認した。
田原坂は一の坂二の坂三の坂になっており、それぞれが激戦の場であった。
田原坂周辺はドコモ激戦の場であったが、特に吉次峠は、
地獄坂と呼ばれるくらいの壮烈な場所であったようなので、横平山の戦跡を経由して向かう。
途中、山道に迷い、菱形八幡宮を経由して吉峠に向かう。
標高差100mの坂道を登ると峠からは、遠く熊本市内が一望できた。
JR植木駅に到着(17:30)し、電車で帰路につく。
2014年8月16日 御前10:00快晴(植木〜山鹿市) 30Km
バスで植木町に向かう。郵便局の裏の旧道を北上し、国道3号線で三里木跡を通過し、
再び旧道に入る。ほたて坂、加茂坂を通り、種田山頭火が滞在した味取観世音に立ち寄る。
北井川の湧水の手前で、内空閑城跡に立ち寄る。
九州自動車道を横切る手前に四里木跡がある。
三十六のお茶屋跡、乙貝橋周辺で道に迷う。この辺りから山鹿市に入る。
乙貝坂は旧道の雰囲気をしっかり残していた。善光寺、徳栄寺五里木跡、比丘尼坂と旧道を進み
山が市内に入るうらやま坂が旧道がそのまま残っていた。
市街地に入り六里木跡を通過し、山鹿大橋を渡ると中心部、山鹿宿に入る(14:20)。
この日は山鹿灯籠まつりの当日であったので、
山鹿温泉 さくらの湯 で汗を流して、
八千代座など市内の名所をめぐり
夕方からの灯籠盆踊りを楽しむ。
19:00過ぎにバスで熊本への帰路につく。
2014年8月23日 午前10:45晴(山鹿〜南関) 23.5Km
バスで、山鹿市に到着。旧道を進み、西南の役山鹿口戦跡 官軍墓地を通過し
国道から旧道に入るところで、鍋田古墳、鍋田横穴に立ち寄り、山鹿市立博物館敷地内の
チプサン古墳、オプサン古墳を見学。
(オプサン古墳の内部)
再び旧道を西へ向かう。山間部に入り
七里木跡、車坂、西南の役鍋田戦跡、玉名山鹿郡境碑、ハゼ並木を過ぎて、山鹿市から
和泉町に入る。腹切坂はしっかり整備された旧道。
里に降りると、光行寺の下岩官軍墓地。
再び山間に向かい、八里木跡とひじ曲り坂。
池田右京邸跡、白坂、
六本松を過ぎると
宿場町に入る。
九里木跡、荒神神社、茶屋跡 高札場跡、官軍墓地
南関宿の手前で小原茶屋、追分石の道標、十里木跡、姫塚
と続き、南関の宿場町に入る。
高札場跡 茶屋跡、
南鷹ノ原城跡、城ノ原官軍墓地、西南の役本営跡 正勝寺
を散策して、バスで熊本への帰路につく(15:25)。
一里塚の跡の一里木はこまめに残してあったが、
街道のルート案内があまりないので、道によく迷ってしまった。
南関からの福岡県の県境は2Km程度。
次回以降は、熊本県内の豊後街道、薩摩街道を巡る予定。