119.日光北街道

大田原から今市まで 47Kmを走る

2012年の街道めぐりを第4弾です。3週連続で青梅、五日市につづいて日光北街道です。

日光北街道は、日光山参詣道として開削され、東照宮参拝道、物資輸送路

また奥州諸大名の東照宮巡拝に利用された。

松尾芭蕉が「おくの細道」行脚の際、この街道を通った。

(矢板市教育委員会の案内板より)

 

会社の旅行会が西那須野であったため、帰りに大田原へ向かい、日光北街道を走ることにした。

宿を8時半出でて、940分に奥州街道との分岐点である大田原市末広の三叉路で案内標識を確認。

前日からの雨もあがり、曇り空だが寒さはあまり感じられない。

しばらく、田園地帯を西に進み、JR線が見え始めた頃、薄葉の八雲神社で庚申塔を見る。

その先が帯川にかかるかさね橋がある。旧橋はなかった。橋を渡り矢板市に入り旧道の街中を進むと

庚申塔、馬頭観音、沢の馬市碑がある。JRを越え、国道4号線をわたるところに不動明王が立っており、

そこから残存する旧道(約800m)に入る。入り口には、奥の細道の説明案内がある。前日の雨で足元はぬかるんでいるが、

旧道独特の雰囲気がある。

この先は長峰公園に入り、矢板市内が一望できる。

矢板市内を抜けて、高速道路を越えると、高内宿に入るが昔の名残はほとんど感じられない。

緩やかな上り坂を進み、倉掛で旧道を探して山間に入るが道を間違える。

なんとか旧道らしき道をたどっていくが、山中の畑を越えて民家のわきから一般道に出る。牛舎などがあり、

現在は旧道はなくなっているようだ。

正午を回ったので、461号線の食堂で昼食をとる(23.4Km 1300)。

旧道の出口あたりで、道標を確認。

塩谷郡は入り、玉生宿の芭蕉一宿の跡碑がある。

地蔵坂を上り旧道を探す。入り口らしいところに庚申塔があったが、不安なので、出口側から入るが採石場になっており旧道は消えていた。

船生の長峰の子持ち地蔵をみて、しばらく行くと鬼怒川、大渡橋にでる。(1520 37Km)ここから日光市に入る。

轟に入ると、館坂を上ると轟城跡がある。

鬼怒川に抜ける三叉路(芹沼)で道標石を発見。しばらく進むと、東武鬼怒川線が見えてくる。

大谷向町駅をすぎると、街道口の大谷橋にでる。(1620 46Km

東武下今市駅から池袋へ向かう。