118.五日市街道

杉並区から青梅まで 46Kmを走る

2012年の街道めぐりを第3弾です。

五日市街道は、江戸時代初期、伊奈道と呼ばれ、秋川谷で焼かれた炭荷を江戸へ

運ぶ道として利用されていたようです。

その後、五日市道、青梅街道脇道、江戸道、小金井桜道、砂川道などいろいろ呼ばれ、

農産物の運搬や小金井桜の花見など広く生活に結びついていました。

明治以降、五日市街道といわれるようになりました。

(杉並区教育委員会の案内板より)

 

自宅から山手通り、青梅街道を進み、杉並区梅里の丸の内線新高円寺駅の五日市街道入口交差点から西へ向かう。(900

成田東で難所であったという七曲を通り、白幡の坂を下る。

途中馬車道の交差点に石仏が立っていて、昔の風情がある。

すぐに善福寺川にかかる尾崎橋にでる。

橋を渡ると宝昌寺の入り口に、石橋供養塔道標 庚申塔が立っている。

裏手に回って、三年坂を上る。ここで転ぶと三年きりしか生きられないという伝承がある。

宮前に来ると庚申の藤がある。

春日神社、松庵稲荷神社をすぎて、吉祥寺駅北口方面を進み、

安養寺の甲辛供養塔、武蔵野八幡宮境内の井之頭弁財天道標を確認した。

武蔵野市に入って、源正寺前の更新塔、御門訴事件記念碑 をすぎると、

武蔵野女子学院前に出て、千川上水脇に石橋供養塔、学校の左側に更新塔道標が立っている。

しばらく、玉川上水に沿って西に進む。

小金井公園脇の真蔵院で川崎平右衛門供養塔、百番供養塔道標を見て、

陣屋跡のある陣屋橋を通る。海岸寺の入り口に庚申塔、馬頭観世音がある。

桜の名所が続き、西部多摩線を越えて商大橋を渡ってから玉川上水と別れる。

上水本町の民家の畑の脇の垣根の中に、石橋供養塔 庚申塔 馬頭観音の3体がたたずんでいた。

妙法寺境内に川崎・伊奈両代官謝恩塔、若葉団地の老人センターまえに地蔵道標があった。

このあたりで20Km地点。

多摩モノレールの砂川7番駅をすぎて、しばらく行くと阿豆佐味天神社がある。

 

12時をすぎたので、台湾料理の食堂で昼食をとる。

 

天王橋で再び玉川上水と交差する。

 

林泉寺で庚申塔(明和元年(1764))、馬頭観音(文化6年(1809))を確認して、

 

米軍横田基地を南側から迂回し、西側の第5ゲート前を西へ進む。

 

八高線を越えるとすぐに地蔵坂。

 

そばにある福生公園内には年代不詳の道標石がある。

 

青梅線を越えて牛浜交差点の大坂を下ると多摩川に出る。

 

河川敷に石濱渡津跡碑(石浜古戦場跡)が立っていた。

 

多摩橋を越えて、突抜坂(月の木坂)を上ると、馬頭観音があり、二宮宿に入った。

 

二宮神社をみて、本宿坂、玉泉寺を見る(1400 35Km地点)。

 

あきる野市役所の向かいの大塚古墳を見て、五日市線を越える。ゴールは近い。

 

渕上の道標を確認して、伊奈宿に入るが、道路計上以外に民家には昔の面影はない。

 

増戸小学校の隣に塩地蔵があった。 

 

秋川沿いに北進し、宮沢坂をくだると杉に岩走神社、その先の少し進んで階段を上っていくと悲願寺にでる。

 

化粧を施したお堂がきれいだ。

 

五日市線の踏み切り越えて五輪坂を下ると、庚申塔、馬頭観音があり、

 

ほどなく、ゴールの武蔵五日市駅に到着(1510)。