116.浜街道(絹の道)、野猿街道、姫街道(東海道脇街道)

八王子から横浜までの浜街道(絹の道)65Km

八王子から谷保天満宮の 野猿街道19Km

御油から磐田市内までの 姫街道71Kmを走る

 

2012年の街道めぐりを始めた。

浜街道(絹の道) 114日〜15

浜街道(絹の道)は、八王子の甲州街道から、町田市内をとおり、横浜の保土ヶ谷にぬける街道。

安政6年(1859)横浜港が開港され、輸出が始ると日本の生糸が横浜から

大量に欧米へ送られるようになった。

八王子は関東周辺、多摩地域の生糸の集積地であったが、

直接八王子から横浜へ生糸が送られるようになる。

 

横浜の市場の海鮮料理が食べたくて、調べていたら、甲州街道からつながる浜街道を知る。

自宅から山手、京王線をつかって八王子に向かう(11時着)。

八王子の八日町交差点が、甲州街道と浜街道の交差点でスタート地点になる。

子安坂を過ぎると京王片倉駅の南側が片倉城跡ある。八王子バイパスを横切り大塚山公園に入る。

絹の道の碑と了道堂の跡があり、このあたりが昔の街道の雰囲気が残っている。

山を下ると異人館跡は絹の道資料館となっており、無料なのでしばし見学する。

八王子市鑓水で八王子道道標を確認。小泉家屋敷をすぎると多摩ニュータウンの中を街道が進む。

町田街道沿いに進み、中村地蔵尊の近くで昼食。21Km地点が町田駅前。

駅前に絹の道道標がある。

東名高速の町田インターの脇を抜けて、横浜市旭区今宿に入る。畠山重忠古戦場の駕籠塚とお墓のある六ツ塚に立ち寄る。

37Km地点の相鉄線の西谷駅で、17時になったので、今日はここで終了。

翌朝、西谷駅を1045分出発。

国道16号線を横浜方面に向かう。保土ヶ谷区宮田町2丁目を左折すると、追分(旧東海道、八王子道)がある。

台町に入ると神奈川台の関門跡、望欣台の碑、アメリカ領事館跡の本覚寺に立ち寄り、

青木橋を渡って、州崎大神で旅の無事終了のお参りをする。

中央卸売市場の食堂で刺身定食1000円を大変おいしくいただいた。

野猿街道 129

多摩川の四谷大橋南詰め付近で川崎街道から分岐し、南多摩の平地部を 大栗川につかず離れず南西方向に伸び、

由木から多摩丘陵の野猿峠を越えて八王子 へ抜ける街道。

甲州街道の八王子から、野猿峠(標高160m)を越えて、谷保天満宮をめざす。

その前に、午前11時に橋本駅から、旧の浜街道を経て片倉駅を通過し、八王子駅に向かった。

旧道にはまだ雪が残っていた。

八王子駅から、東へ進み北野天満神社に立ち寄り、八王子バイパスの打越ICを越えて、

野猿峠に着く。水のみ場が残っていた。

多摩川の府中四谷橋を越えて谷保天満宮に到着(1428 16.7Km)。

帰りは国立駅へ向かって、JRで帰宅。

姫街道(東海道脇街道) 2月17

東海道見附宿静岡県磐田市)と御油宿知県豊川市)を結ぶ東海道の脇街道

浜名湖の北側、本坂峠を越える道で、本坂道本坂街道本坂通りとも言う。

姫街道と呼ばれるようになったのは幕末からだが、

名称の由来は、女性が多く利用したためとも、古いという意味の「ひね」の街道から変化したものともいわれる。

休暇をとって、夜行高速バスで岡崎に午前5時到着、名鉄で御油に6時前に到着。

コンビニでおにぎり、カップめんで朝食をとる。あたりはまだ真っ暗で冷え込んでいる。

6時に出発。旧東海道に入るとすぐに、高札場跡とベルツ花夫人ゆかりの地の案内板がある。

追分道標、国道1号線、相鉄を越えて、船山古墳に立ち寄る。ようやくあたりが明るくなってきた。

どうもおなかの調子が良くなく2度ほどコンビニに立ち寄る。体が重く感じて普段より体調が良くない。

8.6Km先の豊川稲荷で旅の安全を祈願する。小銭がなくておみくじは買えなかった。

参道をとおり豊川駅広場にでる。

豊川弁財天、三明寺でお参りし、寿命院を経て、当子橋で豊川をわたる。

和田辻の前の坂で馬頭観音がある。近くに城跡があるらしいのだが確認できなかった。

18Km地点で、長楽一里塚、常夜塔がある。

20Km地点で、嵩山宿に入る。本陣跡をすぎると、みかん畑のある山間に入り山道になる。

急な坂道が続き昔の風情を残す山道を進むと嵩山一里塚跡があり、本坂峠に着く。(937 23Km地点)

峠を過ぎると、ここから浜松市。鏡岩、弘法堂を過ぎると、高札場跡、本坂関所跡がある。

馬頭観音 本坂一里塚は、道路わきの高台にある。

板築駅跡、華蔵寺を通過し、

30Km地点(1045)の三ケ日宿に入り、本陣跡、伝馬問屋跡、一里塚跡、高札場跡 茶屋跡を確認。

しばらく良くと高速道路をわたるが、ここで古道が分断されている説明版がある。

大里峠への入り口があるが、藪が深く進めない。

六部様、大谷一里塚を過ぎると引佐峠までの山道になる。

ベトナムから吉宗に献上された象も歩いた、石投げ岩、象泣き坂をすぎて、引佐峠に到着。(36Km 1150

さすがにおなかが空いてきた。体調も良くなってきた。下り坂で浜名湖が見えてきて綺麗な景色に満足満足。

姫岩を通過し、西気賀に入って道を間違える。

どうにか薬師堂にたどり着き、浜名湖が間近に見える小引佐峠をすぎると、

道祖神、馬頭観音、巨人伝説の池(ダイダラボッチの足跡)がある。

小高い山の中の街道に、山田の一里塚、山村修理の墓があった。

41Km過ぎ(1250)の気賀宿に入ると、獄門畷、気賀関所跡がある。

落合橋を越えて、金襴の池、刑部城跡を見ながら進むと服部小平太最期の地がある。道路下に墓が見える。

しばらく進むと千日堂、老ヶ谷の常夜塔、六地蔵道標(左浜松宿、右気賀宿)があった。

13時を回り、早く昼食をたべたい。東大山一里塚を過ぎると松並木がつづき、レストランなどがめだってきたので、

49Km付近で台湾料理の食堂でラーメンセットを食べる。(1400

昼食を取ったらすこぶる体調が良くなってきた。ペースも上がってきた。

追分道標、追分一里塚、浜松市内で最古の道標を確認。

遠州鉄道の自動車学校前を過ぎると大養禅院、熊野神社の秋葉燈籠がある。

すぐに市野宿に入る。

本坂通(姫街道)安間基点は60Km地点(1555)で、天気は晴、風もなく気持ちよく走ることが出来る。

治水に貢献した金原明善の生家では観光客が多かった。少し進むと天竜川にでる。

六所神社、舟橋、木橋の碑をみて、天竜橋をわたると磐田市。

河川敷を北上して天竜川渡船場跡碑 、池田渡船場跡碑がある。

すぐ傍に常夜塔と歴史風景館があり、立ち寄る。

行興寺では『平家物語』巻十「海道下(かいどうくだり)」にでてくる謡曲で有名な熊野(ゆや)御前と熊野の母の墓をお参りする。 

ゴールも近く1630を回ったので、先を急ぐ。

妙法院、一言坂、一言坂戦跡を経て、兜塚古墳のあるかぶと塚公園を見て、坂を下ると旧東海道遠州見附宿に到着。

姫街道の入り口の説明版がある。(1517

磐田駅に向かう途中、遠州国分寺跡に立ち寄る。日も暮れだしてきた。

1735 71Km地点の磐田駅に到着。在来線、新幹線を利用して帰路に着く。