108.熊野古道 紀州路(大阪天満橋〜紀伊宮原)

ついに念願の熊野古道を走破することに決めた。まずは、紀州路112Km

 

618日出張先の広島から翌朝大阪入り。19日午前6時に天満橋の八軒家船着場が熊野街道紀州路をスタートした。21日は名古屋で仕事なので、2日間で行けるとこまでいく、きままな工程。和歌山以南の田辺市に近づければ良しとしたい。梅雨の晴れ間を縫ってのスケジュールに不安があるものの、体調第一で望む。

○第1日目(619日 朝のうち雨、のち曇 気温29℃) 大阪天満橋〜和泉砂川 (61015:35 57.3Km

天満橋をスタートして、2時間ほどは小雨。傘を差しながら、名所旧跡をめぐる。週末の疲れのせいか、体が重い。無理せず、ゆっくり進もう。雨のせいか涼しく感じるが、ずっと雨だと滅入ってしまいそうだ。

熊野かいどうの碑、豊臣氏大阪城内武家屋敷跡窪津王子跡、榎木大明神を見ながら、四天王寺に到着。広い境内を散策し、南大門の手前で熊野権現礼拝石を確認する(7:05)。

日本で最初の庚申堂をみて、天王寺駅に着く。朝食は月見蕎麦。この頃やっと、雨が上がる。阪堺電軌上町線沿いに南下していく。阿部王子神社、帝塚山の万代池を通過して、住吉大社へ向かう。住吉大社は以前出張時の朝ジョグでお参りしたので、今回は寄らずに通過。大和川を渡ると、堺市に入る。境王子跡(堺市堺区北田出井町2-3)を確認して、方津神社で参拝。旅の安全祈願と長女の就職成就祈願。竹内街道の道標碑を見て、仁徳天皇稜に到着。西側に沿って進み、銅亀遺跡、狐山遺跡、正面の参拝所で記念写真(9:00)。

 

週末土曜日なので、散歩やジョギングを楽しんでいる人が多い。一路東に向かい南宋寺を通過して、再び南下。20Km過ぎで石津神社に到着(9:43)。大鳥神社で参拝する。鳳南町で道標を確認。このあたりからJR阪和線沿いに進む。和泉市に入り、聖神社、篠田王子跡碑、小栗地蔵、高札場跡、平松王子碑跡、石燈籠、小栗街道標石、泉井上神社、井ノ口王子跡と昔の街道イメージの残る道を進む(12:00 33Km地点)。

溜池が目立ち始めた頃、貝塚市に入り、すぐに半田一里塚跡があった。積善寺城址、南近義神社あたりも街道の雰囲気が残っている静かな住宅街。街道はJR阪和線と南海線の間を縫っている。泉佐野市に入り、関空自動車を越えるとまもなく、50Km地点。午後3時前に安松八丁畷の石地蔵、塙団右衛門の五輪塔、大阪夏の陣樫井古戦場。この先は山間に入るので、手前の和泉砂川駅で今日の肯定を終えることにした。泉南市に入り、信達宿本陣跡をみて、駅に到着(15:37)。駅で着替えをして和歌山へ向かう。

駅前の近鉄デパートで夕飯を調達。和歌山市内のホテルにとまり、ワールドカップオランダ戦を見る。

疲労感はあるものの、50Km程度なので、体の負担はそれほどでなく、早めに就寝。熟睡。

○第2日目(620日 曇 気温27℃) 和泉砂川〜紀伊宮原 (7:0016:20 54.4Km

天気予報によると、夕方から雨模様だが、日中は降られずに済みそうだ。早く寝たせいか、体調は良い。電車で和泉砂川まで戻る。電車から走行ルート方面を見てみると、和歌山までの山越えがけっこうきつそうだ。7時15分駅を和泉砂川駅を出発。

林昌寺 長岡王子跡、標石を見て回る。街道の雰囲気が漂っている。今日は楽しめそうな気がする。道路の温度表示計は25℃。暑くもなくちょうど良い。山間に入ると阪南市。阪和自動車道に進む。地蔵堂王子を見る。説明板によると、このあたりが熊野詣の最難関の場所だったそうだ。馬目王子跡、紀州街道 山中宿に入る。昔の名残があり、町並みをきれいだ。旅籠や庄屋屋敷が残っている。山中渓駅を過ぎるとすぐに関所跡がある。和歌山市に入る手前に桜地蔵。そして、日本最後の仇討ち場の碑があった。1863年、土佐藩士によるあだ討ち。

中山王子跡、雄ノ山峠(8:45)を通過。下り坂になって走りやすい。幸福地蔵、山口王子跡で小野小町にゆかりの地であることがわかった。墓があると記載されていた山口神社へ向かうが、墓は確認できなかった。ふもとに向かい、遍照寺に小町の木造があるらしいので、行ってみるが、ここも残念ながら見ることはできなかった。紀ノ川に向かう道筋は、広い田んぼが広がっていた。川辺王子跡、中村王子跡、力侍神社(川辺王子跡)(大阪から70Km地点 10:30)は全て田んぼの中にある。紀ノ川 川辺橋 川辺の渡し場跡を通過すると、JR和歌山線布施屋駅周辺。吐前王子跡、川端王子跡、中筋家邸宅、和佐王子跡と平坦な路を進むが、その先には矢田峠の山が見えてきた。今回の旅の最初の難関。急な細い山道を登ること10分。峠越え独特の風が吹き抜ける。これが毎回たまらなく好きだ。矢田峠で記念撮影(11:54)。

80km過ぎで平緒王子跡。和歌山電鉄を越えて奈久智王子跡。海南市に入り、松坂王子跡を過ぎると昔の石畳が保存されていた。汐見峠、松代王子跡 春日神社、は雰囲気の良い神社。菩提房王子跡を過ぎて祓戸王子跡に向かう。山の中に入り込んでいるので路に迷ったのではと錯覚するが、地蔵がたくさんあり、昔の雰囲気がぷんぷんで気持ちが良い。

元の路にもどると、全国の鈴木さんの名の発祥地の鈴木屋敷跡の横を通過して、藤白神社 藤白王子に到着し、参拝(14:09)。空模様が怪しくなってきたので、このまま進むか中断するか悩んだ末、後10km先の紀伊宮原を目指すことにした。但し、峠越えが二つあるので、1時半かかるだろう。安全祈願と長女の週よく祈願をしていざ出発。有間皇子遺跡、藤白坂 丁石地蔵と細い急な山道が続く。難所のひとつらしく、険しい山道だが、古道を感じる至福の時間。時折、和歌浦湾が顔をだす。

竹林を抜けると筆捨松 硯石。地蔵峰寺 藤白塔下王子跡で峠にでる。麓に出ると、阿弥陀寺(橋本王子跡)。ここから、加茂川を上っていく。橋本土橋跡、橋本神社(所坂王子跡)、山路王子神社(一壷王子跡)。午後三時を回って空が少し暗くなってきた。前方に見える峠越えの山には、風力発電が6基ほどみえる。急な山道に入る。歩くのもつらい。民家に入る車もバックで坂を登る。急に路が細くなり、心配になって、畑仕事の住民に道を確認。

拝ノ峠はすぐ先にあるようだ。とにかく、道が急すぎる。拝ノ峠 蕪坂(かぶらざか)に到着(97Km地点 15:45)。下り坂を行くと有田市に入り、蕪坂塔下王子跡、太刀ノ宮、爪かき地蔵、山口王子跡に続き、民家が見えてきた。長い蕪坂だった。道中不幸にしてなくなった旅人を弔った伏原の墓をすぎると、ほどなく、熊野古道ふれあい広場(16:20)。さすがに疲れた。写真にも疲労感が漂っている。

ここで、着替えをして一休み。紀伊宮原駅を午後5時前の電車で大阪に向かう。大阪で一泊して、翌日は名古屋でお仕事。

今回でNewBalanceM9651150Km走行し、靴底磨耗により、破棄した。

二日目は峠越えがあり、まさに熊野古道を実感できる幸せを感じた。本宮までの残りの工程は、夏休み含めて計画を立てて完走を目指したい。楽しみな夏休みになる予感がする。