104.中山道(岐阜加納宿〜高崎宿)の走破

2008年の日本橋から高崎、草津宿から岐阜加納宿に引き続き中山道完走を達成 588Km

 

4月中旬から海外出張で、米国フロリダタンパ、ドイツドレスデン、バンバーグで2週間を訪問し、100Kmほどジョグを楽しめた。

帰国日(29日)は、おりしも新インフルエンザでメキシコ便到着の2時間前だったので、大きな混乱に巻き込まれることなく無事入国ができた。

30日は出社するも、さすがに、世界一周となった今回の出張疲れが残っていたので、連休前半はしっかり休息することにした。

兼ねてから、中山道走破を計画していたので、疲労が取れた54日から岐阜から高崎まで約300Kmを連休期間中に走破することにした。

 

1日70Km走れば45日の工程だが、木曽路では宿泊地点が離れているので、予定が定まらない。また、山間部が多いので、1日どの程度進むかも予想がつかない。加えて、天気も曇の様相だが、安心はできない。

○第1日目(54日 曇のち雨) 岐阜加納宿〜瑞浪市大湫宿〜釜戸駅 (8:0018:00 57Km

8時前に新幹線で岐阜駅に到着。曇15℃くらい。

前回200811月に確認した、道標、善徳寺、加納宿東番所跡、加納宿場内を通り、名鉄名古屋本線茶所駅に到着。

今回のジャーニーランがスタートした。

茶所 ぶたれ坊、細畑一里塚、市場山浄慶寺、高速道路東海北陸道、善休寺までは、街道の雰囲気を残す細い道が続く。善休寺周辺は、道祖神が多く目立つ。新加納一里塚と立場を経て各務原市(かかみがはらし)に入る。コンビニで朝食(サンドイッチ)を取る。南側に航空自衛隊岐阜基地がある。しばらく進むと鵜沼宿に入る宿場町らしく町並みも整備されている。鵜沼宿町屋館、尾州領傍示石を見ながら、うとう峠に向かう。

峠の手前にうとう峠一里塚があり、峠を下ると木曽川にぶつかった。しばし木曽川沿いの21号線を進み、太田宿に入っていく。虚空蔵堂と承久の乱 古戦場跡、尾張藩太田代官所跡、高札場跡、太田宿本陣、脇本陣と宿場の設備が残っていた。飛騨街道追分を過ぎて、木曽川を渡る太田の渡しに向かう。

中山道三大難所の太田の渡しに石碑があった。「木曽のかけはし、太田の渡し、碓氷峠がなくばよい」。可児市に入る。30Kmほど走り、12時半を回ったので、ラーメン屋で食事をとる。曇空なのだが、しっかり汗を掻いた。北側には、愛知用水が見えた。伏見宿手前の三叉路で道を間違えた。広見高架橋(可児川)を渡り終えた交差点で目印が見当たらないので、間違いに気づく。この辺りは明智駅近辺だった。コンビニで道を確認してから、伏見宿へ向かう。

伏見宿では、本陣跡、比衣一里塚を通過して、御嶽宿手前で、鬼の首塚があった。

御嶽宿では、願興寺、唐沢橋、竹屋があり、宿場町の整備が行き届いていた。21号線に入ると和泉式部廟所があった。ここまでは、街道を歩いている旅行者に行き違うのだが、この先から山間部に入り観光客は途絶えた。案内板が行き届いていて走りやすい。時折小雨が降る。

 

牛の鼻欠け坂、耳神社、謡坂石畳、安藤広重「木曽海道六拾九次之内 御嶽」モデルの地、十本木立場、一呑清水、唄清水、山内喜助屋敷跡、鴨之巣一里塚。天気がよければ、北アルプスが望めるそうだ。

ここから瑞浪市に入る。秋葉坂の三尊石窟と街道の雰囲気が十分堪能できる。

 

午後4時を回る。山間部に入ってからペースが落ちているので、予定より進んでいない。

山間の里に入ると細久手宿に入る。本陣、高札場をみながら、観光客にどこまで行くのか聞かれる。中津川まで行きたいと答える。まだ20Kmあるそうだ。時刻は4時半になりそうなので、峠越えを考えると、あと1時間半で10Km程が今日の限界。早く宿をさがさないといけない。時折小雨となる。

三国見晴台と馬頭観音、瑞浪一里塚、奥之田一里塚、弁財天の池、北野神社、琵琶峠、八瀬沢一里塚と石畳、二つ岩を通過して、大湫(おおくて)宿に入る。約53Km地点に達している。小雨が降り出す。時刻は午後5時を過ぎたので近くの駅をJ携帯電話のGPSでさがすと、釜戸駅が4Km先にあった。駅に向かう途中雨がだんだんと激しくなってきた。釜戸駅周辺の駅を探すが、空きは無く、中津川に向かうことにした。電話で中津川駅前のグリーンホテルを予約。

中津川駅に着いたのは、午後7時すぎ。あたりは真っ暗。ホテルで、しっかり熱いシャワーで体を温めてから、居酒屋で、好物の魚介類と焼酎で夕食。地図で明日の予定を計画するが、おそらく南木曽周辺が限界であろう。近場に安い宿がないので明日も中津川に宿泊することにした。体の疲労感は少ない。午後10時過ぎに就寝。

 

○第2日目(55日 曇時々雨)南木曽〜瑞浪市大湫宿〜釜戸駅 (5:3016:50 50.3Km

中津川駅から、釜戸方面へ南下し、電車で中津川へもどり、木曽路を北上することにした。

5時起床。曇で涼しい朝だ。中津川宿内の四ツ目川橋を渡ると中津川宿本陣、秋葉神社、脇本陣を過ぎて、中津川を渡る。丘を登っていくと、旧道の雰囲気を感じながら、道標石、馬頭観音、高札場と続き、小手ノ木坂、双頭一身道祖神 道標、上宿の一里塚 地蔵、小石塚の立場、嵐讃岐の供養塔そして中津川ICに着く。朝6時を回ったばかり。近くのコンビニで朝食を取る。生活道路を走りながら、六地蔵、千旦林の高札場、三津屋の一里塚、坂本の立場、観音堂、茄子川の立場、尾州白木改番所跡、茄子川小休所 篠原家、茄子川焼きを過ぎると、恵那市に入る。

馬頭観音、庚申塔を見ながら、坂道が見えてきた。馬塚、甚平坂を上ると、関戸一里塚、長石塔、馬頭観音、上宿石仏群 寺坂、山本用水、五妙坂 高札場、など小高い丘を上り下りしながら、大井宿に入る。 時刻は7時半、人通りはなく、時折小雨が降る。静かな宿場町で朝の散歩の地元の人と挨拶を交わす。本陣跡、脇本陣跡 宿役人の家、旅籠宿と木賃宿、大井村庄屋古屋、市神社、白木番所を過ぎる。今日は5月の節句、こどもの日。こいのぼりでいっぱいの大井橋に来た。ここで、記念写真をとる。

中野観音堂 長島橋、馬頭観音を過ぎると、恵那ICJR中央線を横断し、山道へ入る。西行塚、槙ヶ根一里塚、茶屋槙本屋、茶屋水戸屋、茶屋東国屋、茶屋松本屋、槙が根立場 伊勢神宮拝礼所 道標 下街道への分かれ道、

 

馬頭観音、姫御殿、首なし地蔵、乱坂、祝上坂 乱れ橋、下座切場跡、折村高札場、かくれ神坂、妻の神、平六茶屋 平六坂、紅坂一里塚 紅坂、うばが茶屋 でん坂、馬茶屋、黒すくも坂 念仏坂、と上り下りが多く、歩きも入る。

山里に着くと、藤村立場 高札場 庚申塔、深萱立場。再び山間に入る。西坂、馬茶屋跡、みつじ坂、三城峠を越えると瑞浪市に入り、釜戸が近づく。時刻は、まだ、10時前。涼しく走りやすい。

大久後の向茶屋、新道坂 観音坂 霊場巡拝碑、を過ぎると民家があった。 灰くべ餅の出茶屋、大久後の観音堂と弘法様、再び坂道が続く。権現坂、くら滑坂、炭焼立場跡 吾郎坂、権現山一里塚、十三峠の巡礼水を過ぎて、前方に私と同じように走っている若者を発見。日本橋から高崎を経て今日まで1週間かかったそうだ。坂道が多く一日50Kmほどしか進まないようだ。100Kmマラソンは一度経験しており、旧街道のジャーニーランは始めてで、旧道の案内を頼りに進んでいる。しばし談笑しながら併走する。ぴあいと坂、十三峠の観音堂石窟 阿波屋の茶屋、十三峠尻冷しの地蔵尊、十三峠八丁坂の観音碑 (しゃれこ坂)、山之神坂、童子ヶ根、寺坂の石仏群を過ぎて、昨日の大湫宿に近づいたところで雨脚が激しくなってきた。 大湫宿問屋場跡、脇本陣、高札場を過ぎて、釜戸駅に向かう。駅に着いたのは11時半。山坂が多いので、距離が伸びない。約30Kmを走る。中津川へJRで向かう。

中津川のアピタで昼食、ラーメン、チャーハン、餃子のセットを食べる。雨で濡れた体を温める。外の雨は一向にやむ気配がないので、ウインドブレーカーと軽量の携帯傘を購入。これでなんとか雨はしのげる。1時間ほど休憩し、午後1時前に出発。

 

高札場 庚申塔 茶屋坂を上ったところで、地図を落としたことに気づき、坂をくだる。馬頭観音、尾州白木改番所跡、小野の地蔵石仏群、子野の一里塚、与坂立場跡 、落合五郎城跡(おがらん様)、善昌寺を過ぎると落合宿に入る。雨脚は少し強くなってきた。落合宿助け合い大釜 、脇本陣、本陣跡、上町の秋葉様の常夜灯、高札場、落合大橋、山中薬師(医王寺)、落合石畳を過ぎると、美濃信濃国境である新茶屋一里塚に着く。

馬籠城址を過ぎると、馬籠宿に入る。宿場は雨にもかかわらず人が多い。中山道では有名は観光地になっているようだ。坂をさしながらのランでは雨はしのげるのだが、疲労がたまってきた。暖かい山菜そばを食べてしばし休憩。時刻は午後2時半。宿場は坂道に作られている。雨が降っているので人と傘で宿場の通りが見通せない。店も多くにぎわっている。

車屋坂、高札場、馬籠上陣場、梨子の木坂、馬籠峠 に3時半に到着。ここから南木曽町に入る。

再び山道に入り、観光客はいなくなった。立場茶屋 一石栃白木改番所跡、倉科祖霊社、庚申塚、大妻龍宿に入ったところで、携帯電話の電池が切れた。写真もとれなくなったので、宿場内の店でとりっきりカメラを購入。雨は一向にやまない。この宿場も結構観光客でにぎわっている。雨のせいもあり、あたりは大分暗くなってきた。今日の宿を考えなくてはならない。時刻は午後4時を回った。宿場内の延命地蔵堂、本陣、妻籠番所之跡、上久保の一里塚、かぶと観音を見て、南木曽駅に到着。案内板で南木曽から野尻のルートが事前に調べたルートと違うことが判明。JRで中津川に向かい昨日とは違う宿に止まる。夕食はコンビニでカップ麺とおにぎり、ビールを買う。ちなみに今日は写真をたくさん撮った。全部で316枚。走行距離も100Kmを越えたので、疲れもたまってきた。午後10時に就寝。

○第3日目(56日 雨)南木曽〜宮ノ越宿 (71017:40 51.4Km

昨晩から雨が降り続いており、出発を遅らせた。中津川からJRで南木曽駅に向かう。朝食は中津川駅でサンドイッチ。三留宿から野尻宿へは、牧ノ沢 、羅天がしばしば通行止めになる難所であったため、迂回路として上ノ原、与川を通り、根ノ上峠を経由して野尻に出る与川道(約16Kmの山道)を行くことにした。街道の雰囲気を残すルートなので、多いに期待する。雨はしとしと降り続けている。

等覚寺、二十三夜塔、正善沢、阿弥陀堂 庚申塔 馬頭観音、らんかん橋あたりが、中間の9Km地点。舗装のない山道に入ると、石仏道標があった。写真の右は沢を上る道なき道。左が本ルート。

根ノ上峠を越えると舗装された下り道で走りやすい。江戸時代の中山道の雰囲気を感じ取った。

10時頃野尻宿に到着、雨がひどくなってきた。野尻駅で駅この先のルートを確認する。

雨がひどくなってきたので道の駅大桑で山菜そばを食べる。天長院、岩出観音を経て、里に出る。須原宿に入る。雨はあがった。JR須原駅周辺は、低い雲に覆われている。ここからはしばらく国道沿いに走る。

高札場 一里塚、荻原一里塚、小野の滝、本町一里塚、玉林院を経て上松宿に入る。宿場町の雰囲気が気持ちがいいが、人気がない。

木曽桟跡、沓掛一里塚を経てJR木曽福島駅の福島宿に入る。宿場内はきれいに整備されている。連休の最終日でかつ天候不順のせいか観光客がいない。

高札場、行人橋あたりで観光客が数人。木曽の酒、七笑酒造の前を通る。木曽の漆器よし彦で家族全員の箸をお土産に買う。福島関所の関所橋で、写真を撮る。時刻は午後4時をまわった。

権現水、興禅寺を過ぎると、また人気がなくなる。また雨が降り始めた。経塚、手習天神 薬師堂 庚申塔、を過ぎて、中山道中間点に着た。江戸、京都双方から268Km地点になる。時刻は午後511分。雨脚は激しくなってきた。

しばらくして宮ノ越宿に入る。宮ノ越宿脇本陣、本陣を見てJR宮ノ越から塩尻へ向かう。 予約なしで塩尻ステーションホテルに泊まる。洗濯とシャワーを浴びてすっきりしてから、イトーヨーカドーで夕食を買う。しっかり食べて飲んで満足、満足。

山間部が多く、150Kmのペースなので予定より30Km程遅れている。

○第4日目(57日 雨)塩尻〜宮ノ越宿 (73016:30 38Km

今日は一日雨の予報。疲れもたまり、朝はすっきり起きれず、雨も降っている。出発は遅らせた。やはりここにきて海外出張疲れ残りがでてきたような感じがする。前日に買ったおにぎりで朝食を済ませる。

平出一里塚、肘懸松、常夜灯、善光寺街道の分かれ道の道標を確認し、洗馬宿に入ると雨が激しく降り始めたので、傘を差しながら走る。脇本陣、高札場, 言成地蔵尊を経て本山宿に入る。午前845分。

地蔵 庚申塔 馬頭観音、一里塚をすぎてしばらくすると国道沿いに木曽路入口 南木曽路の碑があった。午前920分。雨はとにかく降りしきる。

若神子一里塚、道祖神、庚申塔、贄川関所を通ると贄川宿に入る。

観音寺、旧家 深澤家、木曽平沢集落を通過。奈良井川の対岸に橋戸一里塚過ぎると奈良井宿に入る。

高札場、鎮神社を過ぎると山道に入る。雨は小休止。鳥居峠までが急な坂道で途中何度も足を止める。距離は2Kmほどだが、久々にハードなコースだ。峠の頂上付近で道を間違えて、峠山に向かっているらしい。携帯のGPSでは、完全に道を外れていた。結局峠頂上を確認するのに神社から2Kmほどの距離で1時間を要した。下りの坂は走りやすいが、熊に注意の看板があり、注意看板に備えられた熊除けの鐘を何度もならしてから前進する。

何とか里にたどりつき、雨が降り始め、尾州御鷹匠役所跡、飛騨街道追分、防火高塀跡を見て、薮原宿に入る。午後1時。

JR鷺鳥トンネルを過ぎてから奈良井川の右岸の道に入る。道標石を確認し奈良井川の急流を間近に見る。

 

山吹山の山吹トンネルに入らず肺堂になった迂回ルートを走る。舗装されているが、雨も降っており、枯れ草が積もっており足元も滑るので慎重に走る。国道に合流すると標高883mの看板があった。山吹山の反対側に巴渕があり、ここまでは、昔の旧道の風情を感じた。しばらく行くと木曽義仲と巴御前の墓がある墓徳音寺を参拝し、

二人の銅像がある義仲館を見る。

雨は激しくなり、早々に宮ノ越駅に向かう。午後2時半。靴は完全に濡れてしまった。平日で、雨が降っていることもあり、観光客には一人も会わず、また、里以外では出会う人はいなかった。雨の木曽路で江戸時代の雰囲気を味わえる一日だった。

塩尻までの電車待ちが1時間近くあった。ワンマンカーなので、乗車口が開かず戸惑う。プラットフォームで足元がもつれて、ごろりと転倒。防寒用の指無し手袋をはめていたが、指とすねにかすり傷を負って出血するも大事に至らずバンドエイドで済ませて一安心。塩尻に到着したのは、午後5時前。塩尻で昨日とは違うビジネスホテル横山に泊まる。一日中雨で傘をさしながらのランは疲労をたっぷり蓄積。イトーヨーカドーで夕食を買って、早めに就寝。洗濯物とシューズを乾かすために暖房は強めにした。

○第5日目(58日 晴一時雨)塩尻〜佐久平 (43016:00 69.8Km

予定より丸一日遅れている。今日中に佐久平へ着けば翌日は高崎まで行けそうだ。天候も回復してきているので、出発を早めた。4時起床。
あたりはまだ薄暗いが、大門神社、庚申塔、塩尻宿に入り、本陣、庚申塔、永福寺、首塚 胴塚 、長野自動車道を越えて、東山一里塚、夜通道、塩尻峠に到着。610分。このあたりも旧道の風情が残っている。

峠をこえると岡谷市に入る。大石、石舟観音、を経てコンビニで朝食をとる。店員の女性に岐阜から高崎に向かうことを告げると驚いていた。和田峠が急な山道かどうか尋ねると、あきれた様子で笑われた。諏訪湖が見えてきた。その先にひときわ目立つ立派な木々に囲まれた、旧御小休本陣  今井家 今井番所。しばらくすると下諏訪駅手前に魁塚がある。下諏訪宿の入口に高札場。道標石、中仙道甲州街道合流地点、午前7時半。通学中の地元の小学生がたくさん通る。

かめや旅館前の錦の湯 中山道下諏訪宿問屋場跡、下諏訪宿本陣、来迎寺、一里塚、慈雲寺、標石を経て諏訪大社下社春宮を参拝する。 ここから、上りが続く。道祖神から、細い山道を上ると、TVで有名な御柱木落し坂にでた。この先で道を間違える。目印の目標が見つからず、引き返す。

142号線を北上する。樋橋古戦場、茶屋本陣跡、水戸浪士の墓、馬頭観世音、一里塚、を通過して、西餅屋茶屋跡の先から山道に入る。石小屋跡、和田峠(標高1600m)と急な山道が続く難所。休息を入れずにどんどん上る。

峠の頂上はガスがかかっていて涼しい。1015分。

下りは快調に進む。東餅屋で、ちから餅をたべる。店主から通常は高崎から京都を目指す人が多く、20人に一人くらいは高崎に向かうそうだ。

広原一里塚、接待(永代人馬施行所跡)、三十三観音、唐沢一里塚、を通過する。

里の和田宿で急に雨が降ってきたので、雨宿りがてら、昼食におやきとお汁粉を食べる。 正午。

かわちや、八幡社本殿、一里塚、若宮八幡神社 和田城主大井信定父子の墓、馬頭観音、三千僧接待碑、馬頭観音、石仏群、長久保一里塚を通過して長久保宿に入る。

釜鳴屋、脇本陣 高札場、松尾神社、道祖神を見ながら、笠取立場 笠取峠に到着。午後215分。

 

一里塚をすぎると立派な笠取峠松並木に入り芦田宿に着く。 本陣 脇本陣を通過。まもなく茂田井宿に入る。 

一里塚、馬頭観音、高札場付近にある酒蔵のある白壁がきれいだ。 佐久市に入り、まもなく比較的大きな望月宿。脇本陣、本陣、中仙道長坂分岐点、長坂石仏群、瓜生坂、一里塚、祝言道祖神、そして八幡宿とつづく。

千曲川を渡ると、舟つなぎ石、

三階建て住居郡 十九夜等 道祖神、高札場 のある塩名田宿に入る。

駒形神社あたりで午後5時をまわる。141号線にぶつかったところで、早めの夕食としてラーメンセットとビール。当てにしていたホテルがなく、岩村田駅でタクシーの運転手に宿を紹介してもらう。佐久ホテルに宿泊。明日は最終日、高崎に向かうため早めの就寝。

○第6日目(59日 晴)佐久平〜高崎 (43017:30 61.1Km

天気は回復。一日晴れそうだ。昨日までに250Km以上走っているが、あと60Kmあまりと考えると意外と疲れを感じていない。ジャーニーラン特有の回復現象か?

早朝に、中仙道甲州街道追分、庚申塔 御岳神社を見て岩村田宿を出発。走っては歩きを入れた、ゆったりペースで進む。道標石、鵜縄沢端一里塚、皎月原を経て小田井宿に入る。 脇本陣、本陣、御代田一里塚をすぎると西軽井沢に入る。なだらかな坂が続き、軽井沢の追分に到着。645分。

笑坂、分去れの道標、

追分枡形の茶屋、高札場、浅間神社 追分節発祥の地、追分一里塚、馬頭観音、遠近宮社、女街道入口、馬頭観音、庚申塔を確認して、軽井沢銀座に到着。845分。

開店早々のお店でソフトクリームをたべる。ついでに野沢菜を購入。バックが重くなり5Kgはありそうだ。岐阜から高崎まで向かうことを話すと、朝食代わりにとサービスで野沢菜の天ぷらを一袋いただく。感謝感謝。山道に入り吊橋で観光客と記念写真を取り合う。どんどん休まず山道を上ると、25分ほどで碓氷峠見晴台に到着。最後の難所碓氷峠を上りきる。936分。頂上で浅間山バックに写真を撮る。日差しが強い。

峠のしげの屋でちから餅と缶ビール。熊野神社 石の風車 碓氷峠 中央分水嶺 県境、碓氷川源流の地を確認して峠を下る。狭い急な道もあり慎重を期す。観光客ともすれ違う回数が多くなる。

仁王門跡、長坂道、人馬施行所跡、化粧水跡、陣場が原、一つ家跡 、山中坂、山中茶屋、入道くぼ、栗が原、座頭ころがし(釜場)、一里塚、北向馬頭観世音、南向馬頭観世音、掘り切り、茶屋跡、

弘法の井戸、風穴、覗。一番の危険場所は柱状節理のある坂。堂峰番所をすぎると、舗装道路に出る。まもなく坂本宿。1135分。

下木戸跡、薬師坂 薬師堂、川久保橋を経て碓氷関所に出る。明日は関所祭りで安中侍マラソンがあるので、沿道が飾られている。庚申塔、庚申塔、五料村高札場、茶屋本陣、庚申塔、松井田城、庚申塔を見て松井田宿に入る。

馬頭観音、八本木地蔵堂、そして安中杉並木、安中宿を通過。安中実業高校前のマクドナルドで遅い昼食をとる。午後2時半。

板鼻宿本陣には、午後3時半到着。標石、庚申塔、寒念仏橋供養塔をとおり、高崎では有名な蕎麦屋の八幡庵で大えびの入った天ぷらそばを食べるが量が多すぎて食べきれずに残す。

高崎市内に入ると一里塚、茶屋本陣、高崎だるま、

庚申塔、下豊岡の道標、標石、みかえり阿弥陀をみて、ついに高崎宿に到着。5時半。JR高崎線で目白に戻る。

全工程328Kmであった。