102.特集:東海道ジャーニーラン【名古屋〜京都】

7月の連休を利用して旧東海道を完走。

 

5月の連休で日本橋から名古屋熱田の七里の渡しを走り終えた。 結果をホームページにまとめ終えると、暑い夏の前に何とか走ってみたいという気持ちが日に日に強まっていく。残るは桑名の七里の渡しから今日と三条大橋までの約140km7月の連休に走破することにした。  

  

○計画と準備

完走のための目標は前回と同じ。  

@    一泊二日の140Kmの工程。名所旧跡をカメラ撮影しながら一日概ね70Km前後、12時間目安に走り歩く。

 (走行速度 8km/時間、歩行速度 4Km/時間なので、6時間づつ分けても12時間で平均速度は6Km/時間。 12時間×6Km=72Km)

A天気(雨、暑さ)や峠越え(鈴鹿峠)での安全第一。

 携帯品は、軽量化(総重量:2.5Kg)

        ランニング用バッグ

        着替え(半そでシャツ1着、ハーフパンツ1着、上下のウインドブレーカ、靴下1足)

        現金、カード類、携帯電話

        洗面用具(歯ブラシ、かみそり)

        ルート地図

B宿泊は、ビジネスホテル&旅館で、当日決定する。初日は甲賀市まで行きたい。  

○第1日目 718() 桑名(七里の渡し)〜甲賀市水口町(82.2Km 5:00−19:40)  

4時半起床。三交イン桑名駅前ビルを出発。桑名の七里の渡しを目指す。小雨がふっているが涼しく感じない。梅雨の重苦しさがある(気温26℃)。出張先から現地入りしたことと、週末であることから、体が重たい。気温や湿度のせいだけでなく、週末の疲れが出ているのだろうか。あまり体調は良くない。 (後で考えると、腹は減っていないが、エネルギー不足のようだ。)

5時半七里の渡しに到着、昨年、仕事で桑名に宿泊したときに周辺は探索済み。地理感はあるのだが、まだ寝ぼけているせいか、旧道のルートを間違えてしまう。桑名城の城壁、桑名宗社の標石を尋ねる。ルートの一部は通過できなかったが、市内で本線に入り、一路四日市を目指す。矢田立場、朝日町の橘守部誕生の地、浄泉坊を通過するが、雨が次第に強くなってきた。地図が濡れないようにビニール袋に入れる。体が依然として重く感じて、歩きを入れる。しばらくは走りのリズムにはならないようようだ。雨が降る分涼しく感じることで気持ちを楽にさせてくれる。

富田の一里塚が10Km地点。午前7時を回った。10Km5分ペースなので、先が思いやられる。羽津城は近鉄名古屋線の上にあり公園となっている。雨のため足元がぬかるんでいる。シューズにもだいぶ水がしみ込んできた。国道一号線に入るところに標石があった。程なく進むと海蔵川にぶつかり、川岸に三ツ谷の一里塚があった。四日市市の中心部に近づき、大きな標石を確認、諏訪神社から四日市駅を目指す。雨が一段と激しくなってきた。8時になったところでお腹が空いてきた。駅そばを食べて、この先のルートを確認する。椅子にかけた帽子からは水が滴っていた。しばらく行くと沿道に東海道の名残である大きな一本杉がある。 日永の追分はきれいに整備されていた。

雨も小降りになった。朝食をとったせいか、体がやっと動くようになった。疲れよりエネルギー不足だったのかも。いつもは、必ずおにぎりやサンドイッチを取っていたのに、今回は省いてしまった(900 23Km)。

 

徐々に内陸に入っていく。有名な日本武尊にまつわる史跡である急な坂、その名も杖衝坂に入る。血塚社をとおり、高台に入るとまた雨が強く降りだした。トラックがたくさん走るので、水しぶきがかからないように注意しながら走る。石薬師宿に入る。入り口に北町地蔵堂がある。宿場内には、大木神社、小澤本陣、石薬師寺がある。雨は小止みになる。宿場を出て、河川敷に一里塚がある(1037 37Km)。

 

鈴鹿川沿いに鈴鹿峠を目指す。庄野宿を抜けて、女人堤防の碑に着く。すぐに立ち去ろうと思ったのだが、碑の名前が気になり碑文説明を読んでみると驚いた。(碑文の概要:江戸時代末期、鈴鹿川と安楽川の合流するこの地はしばしば水害に見舞われたため、村人達は堤防を築くことを神戸藩に願い出ましたが許可されませんでした。
「工事にかかわった男たちは打首になり村は全滅する。女だけで堤防をつくろう」と菊という女を指導者に、200余名の女達が藩主の命に逆らって決死の覚悟で堤防を造ったそうです。着工から6年、堤防は完成しますが、女達は捕らえられ死罪になることに。処刑の寸前、心ある家老の助命嘆願によりで助けられ、それどころか金一封を贈られて、めでたし、めでたしというお話です。)

いつの時代も女性は強い。せっかくなので、雰囲気を味わうために、河川敷まで行った。

 

中富田一里塚、川俣神社、井田川駅前を通過。亀山市に入る。12時を回り腹が減ってきた。コンビニで昼食をとらねば。国道一号線をくぐり、谷口法悦供養塔、和田の道標を確認する。段々と山間に入っていく。和田一里塚を過ぎてから、コンビニで昼食。そうめんがおいしかった。牛乳を飲んで出発。雨は完全にあがって、これからは暑くなりそうだ(29℃)。亀山宿に入る(1240 42.5Km)。

 

しばらくいくと亀山市内のメインどおりの入り口に、江戸口門がある。亀山城周辺で、石井兄弟敵討跡、伊勢国亀山藩主板倉・石川氏の交代を確認。京口門跡 京口坂、慈恩寺、野村一里塚を過ぎて和気神社に向かう。手前にある公民館脇の杉の木の影にあるという道標はどうしても見つけることができなかった。そもそも杉がない。和気神社内は静寂でしばし休憩してルートをチェックする。東名阪自動車道をくぐり、名所である関宿に入る。

明日から宿場のお祭りだそうだ。まだ準備もしていないので、残念。宿場の入り口には小万のもたれ松。この小万のいう女性も父の敵を撃った娘で、ここでは有名人(1409 50Km)。

関宿内では、東の追分、旅籠玉屋、父の敵を討ちを果たした娘小万の墓のある福蔵寺、

地蔵院、観音院、工事中の西の追分を見る。  

ここを過ぎると鈴鹿峠が近い。坂も急になってきた。筆捨山を見ながら坂下宿に入る。法安寺、小竹本陣跡を通り岩屋観音に来た。門柱がないと見過ごしそうなくらい入り口が狭い。薄暗い境内、修験者の滝に加えて修行者のお経も聞こえてきて昔の臨場感たっぷり(1537 59Km)。

観音を出てすぐに鈴鹿峠の旧道の入り口。狭くて急だ。

峠まで2Km程だ。行こうか行くまいか悩む。マムシが出たらどうしよう。いかにも出そうな山道なのだ。意を決して突入。

いきなり急な階段。山肌に塗った細い暗い道を走ると、ついに出ました、蛇で、、デス。蛇は逃げようとしているのですが、止まって、鎌首をこちらに向けて様子をうかがっています。石を投げてもピクリともしません。そうこうしているうちに、蛇が逃げ始めたので、一目散に通過。まだ、数100mも来ていないのにこれですから、これからどうしましょう。とにかく薄暗く湿気があります。ところどころに急な階段。小川もあります。餌の蛙も沢山います。階段で蛇が出たら、仰向けに倒れて大怪我になる!! 恐怖で蛙の声にもビクビクです。ぎゃー、ウオーと奇声を上げながらとにかく突っ走る。道が広くなり石畳です。片山神社に出てやっと安心。急な石畳の坂を上ると、気持ちのいい風が吹き抜けました。鈴鹿峠に着きました(1606 60Km)。

  

  

鈴鹿トンネルの工事で移設された大きな立派な常夜灯があります。

天気が良く暑いです。道路の温度表示によると29℃です。下り坂に加えて程よく風が吹いているので、走るリズムは快調です。今日の宿は何とか甲賀市内になりそうです。山中一里塚、蟹坂古戦場跡をとおり、街道橋を渡って田村神社へ入る。急に街道の雰囲気がでてきた。境内は広く、白い提灯が飾られていた。明日からお祭りのようです。一号線をわたって、腹ごしらえにたこ焼きを買って道の駅でゆっくり休んで食べる。ここから土山宿(1730 67Km)。 

  

標石、おしろい地蔵、一里塚、うかい屋、二階屋脇本陣、大黒屋本陣、高札場を見て宿場を抜けて一号線にでる。ここで道を間違ってしまって少しうろつく。野洲川河川敷に来るが旧道には橋はない。地元の人に聞いて一号線にもどる。午後6時を回ったので日没まで後一時間ほどだ。体調が良いのでペースを上げる。白川橋を渡って再び旧道へ入る。大日川掘割を通過して今宿に入る(1839 75Km)。

甲賀の水口の宿は日没後になりそうだ。一里塚を通過。岩神社の境内はもう真っ暗で、小さなお社。陽は完全に陰り、電灯がつきはじめた。夕焼けに古城山が生える。当時は松並木と古城の絶景ポイントだったそうだ。東見村江戸口跡についた。地元のおばちゃんが拍子木を鳴らして、火の用心の見回りをしていた。市内にある宿を教えていただく。あたりは、もう真っ暗だ(1930 81Km)。 

 

暗くて善福寺は見つけられなかった。宿を見つけられるか、空いているか不安な気持ちで宿場内を進む。途中から水口駅方面に向かい、県道の交差点で旅館の看板を発見。旅館のおかみさんとおばあちゃんに事情を話すと驚いていた。旅館大福に決定した(1940 82Km)。 風呂に入って、すぐに洗濯。 夕食は近くのラーメン屋でラーメン餃子とビールで乾杯。10時頃就寝。 

  

○第2日目 719() 甲賀市水口町〜京都三条大橋(42Km 7:00−16:00 合計134Km

  

残り40Km程なので、朝食をしっかりとることにした。6時におきて7時前に朝食。7時出発。朝から天気が良い。今日は暑くなりそうだ。近江鉄道水口石橋駅を渡ると直ぐに、宿場案内がある。水口城跡は水口高校のグランドになっていた。五十鈴神社に一里塚があった。程なく進むと田園地帯になり、北脇縄手と松並木の案内がある。道路わきには道祖神が何箇所にも設置されていた。泉一里塚を過ぎると道中でも最大級の大きな灯篭があった。ここが野洲川の横田渡しだ。 

   

野洲川を渡って湖南市に入る。支流の荒川を渡ると標石がある。三雲城があるが、時間がないので寄らずに進む。弘法杉を過ぎると新田道戸とかかれた標石。しばらく進むと石部宿に入った(908 95.6Km)。

高札場、本陣を確認していると、東海道を歩いて散策している男性から写真を頼まれる。せっかくなので、写真を撮ってもらう。 

JR草津線沿いを走り、名神高速を下越しすると、如来堂と道標、そして旧和中散本舗大角屋が見えてきた。ここは関ノ宿になる。このあたりで昨日からの総距離は100Kmになる(946 100Km)。

日差しは強いが、乾燥しているせいかあまり暑さを感じない。 一里塚をすぎて、手原駅近くになると稲荷神社、東経136度子午線の標石があった。すずめの茶屋跡はアパートの駐車場になっていた。金勝川の手前でシーボルトに縁のある善性寺。東海道と中山道の道標があって、やせうま坂と書かれている。このあたりは目川といい茶飯と田楽が有名らしい。東海道新幹線を越えて草津市内に入る。一号線を越えて高野地蔵尊、石造りの道標灯篭がある。宿場中心地には追分道標、高札場、本陣がある。趣のある宿場町。立木神社系内に道標を発見。御神鹿があった。だいぶ暑くなって、水分補給も頻繁になる。汗もたっぷり出始めた。矢倉道標、野路一里塚を過ぎたあたりで早めの昼食。野菜カレーを食べてエネルギー補給。辛くておいしかった。野路玉用水跡を過ぎると瀬田の唐橋までノンストップ。琵琶湖に着く(1228 114.9Km)。

膳所城勢多口総門跡碑のあたりは旧道が途切れている。その先で路絵を間違えてなぎさ公園を経て膳所城へ入る。近江大橋が間近に見える。体からを塩分が吹き出て、乾いて短パンが白くなってきた。とにかく暑いぞ。西部デパートのトイレで体を拭いてしばし体も冷やす。ときめき坂を通って義仲寺に出る。有料参拝なので、境内は入らなかった(1353 124Km)。

京阪京津線に出ると京都ももう直ぐだ。ウエアーは塩をふいて白くなっている。山間に入って関蝉丸神社を見る。いかにも古い神社だ。逢坂あたりは交通量が多い。峠の頂上には逢坂山関址がある。

下り始めると月山寺にでる。名神高速道路を越えると道標石があった。車石の説明版を見てから、山科に入った。徳林寺、五条別れ道の標識(1514 129Km)を見てから山裾の旧道を走る。

地下鉄蹴上を過ぎると京都市内が見えた。体も元気を取り戻して快調な走りだ。三条白川橋の道標を見て、ついに三条大橋に到着(1555 143.3Km)。 旧東海道の全工程536Km を述べ8日間で走破した。

大学生風のアベックにお願いして、三条大橋や弥次喜多像をバックに写真。

 

近くに駅伝発祥の碑があった。東京は上野の不忍ノ池にある。起点と終点で碑を見ることができた。汗を流すために、二条城を経由して、丹波口駅近くの「やまとの湯」へ向かう。洗濯をしてゆっくり休む。夜は、京都駅で回転寿司を食べて、夜行バスで帰路に着く。

 
 
工程結果

 年月日(時刻)

 区 間 名

区間距離

累計距離

427

530-1800

日本橋〜小田原

88.4Km

 

428

530-1800

小田原〜富士市

64.9Km

153.3Km

429

500-1800

富士市〜藤枝

71.8Km

225.1Km

430

500-1800

藤枝〜浜松

65.0Km

290.1Km

51

500-1800

浜松〜岡崎

77.4Km

367.5Km

52

700-1400

岡崎〜名古屋(熱田)

36.9Km

404.4Km

718

500-1940

桑名〜甲賀市

82.0Km

486.4Km

719日 

700-1600

甲賀市〜京都三条大橋

50.0Km

536.4Km

合計:8日間

9440

写真枚数:1166

 

536.4Km