51.第1回甲州夢街道シルクロード215Kmラン・ウオーク遠足
初のリタイヤ 25時間160Kmで力つきる!!
春のお台場24時完走に続く160Km走。
9月28日午後23時50分新宿発の急行北アルプスで一路、上諏訪へ向かう。
電車の中は、ほとんどが登山客。眠って乗り過ごすと大変なことになるので、うつらうつら。
腕時計の目覚ましが3時に鳴る。会社の同僚から、携帯電話のモーニングコール。
29日午前3時25分、上諏訪に到着。国道沿いに下諏訪の諏訪神社秋宮まで約5Kmとぼとぼと歩く。
途中コンビニでカップラーメンで早い朝食。
家族は、36時間かけて、諏訪神社から東京日本橋まで215Kmを走ることを
なかなか信じてくれない。会社の旅行と勘違いされた。連絡先などの資料ではじめて信じてくれたが、今度は
いつものように、「体に悪いからやめたら?土日が台無しじゃないの。」と温かいお言葉?
餞別にバナナを3本もらった。(おれはサルか?)
4時半に秋宮の隣のかめや旅館に到着、大会事務局の受付を済ます。
5時過ぎになると、続々と前日からの宿泊組が集まってくる。
今回の参加者は143人。昨年のプレ大会は100人ほど参加し完走率は約30%ときつい大会だ。
参加者の平均年齢は男性48歳、女性45歳。最高は67歳、最低は23歳。
装備
小型リュックに着替えの半そでTシャツ2枚、ハーフパンツ1着、靴下1足、雨&夜対策用上下のヤッケ1着、夜間用ライト、お金に携帯電話など、 極力軽装備に徹した。
午前6時スタート
皆で大会主催者海宝さんを囲んで記念写真。なじみのメンバー数人とあいさつ。
午前6時、海宝さんの掛け声でスタート。 気温は少々低めで寒く感じる。上下のヤッケをきてスタート。
天気予報では、甲府方面の天気はよさそう。東京は、2日目の午後からくずれそうだ。
29日の部
23Km地点の富士見峠(標高900mを越える)、60Km地点は甲府盆地(標高250m程度)、一番の難関100Km地点の笹子峠(標高1000m;旧道)、最後の難関150Km過ぎの大垂水峠(標高400m)とたっぷりのお楽しみ。どこまで、行けるやら?
富士見峠を知らぬ間に通り過ぎ、31Kmの道の駅蔦木宿で、最初の一服。(午前9時半:3時間半経過)
ゆっくりペースで気温も最適、体調もまずまず。参加者の流れも前後数百m離れてきた。神奈川からきたという女性のYさんと
しばし並走する。途中、畑仕事のおばあさんから、もらったミニトマトはおいしかった。
彼女はウルトラマラソン10年目で今年は記念に各地のウルトラの大会(九州阿蘇、北海道栗山など)走りまくっているそうだ。また、毎年270Kmのさくら道にも参加する大ベテラン。確かに走りは速くはないのだが、安定していてリズムがある。その後は、私が先に行っては、追いつかれ、追い越され、追いつくという循環が終日続いた。
道の駅蔦木宿を出て、まもなく32Km過ぎ地点でに山梨県に入る。山間をとおり、竜王町手前の国道20号線沿いの小作前の駐車場が62.2Km地点の第1給水ポイント。驚いたことに到着は140人中30数番目となぜか早いグループ。(午後1時25分:7時間25分経過)カップラーメン、トン汁、漬物、果物と食べ物豊富。特にビールがうまかった。20分ほど休憩。
ここまで、お腹の調子がいまいちで、道の駅やガソリンスタンドのトイレを借りる。
1週間前にひいた風邪の治りかけで、胃腸が少々弱っている。休憩後も近くのガソリンスタンドに立ち寄り体調整える。
下り坂が多くなり、まもなく、甲府盆地に入る。75Km地点で石和町。風呂に入って汗を流したいところだ。大会でなければ、一服して最高なのだが。甲府市内に入ってからは、暑く感じる。乾燥しているせいもあり、夕方には顔がひりひりしてきた。喉が渇き、コンビニに立ち寄る回数が多くなる。石和町をすぎると徐々に登りが多くなる。ペースも落ちてきた。60Kmまでが7分前後/Kmのペースが7分台後半/Km。さすがに疲労感がでてきた。87Km地点の第2給水ポイントが待ち遠しい。
70Km地点、コーラで給水しながら歩いていると、突然、携帯電話が鳴る。仙台に転勤した元同僚山口課長からの激励を受ける。昨年秋田100Kmマラソンのあと一緒に出張した仲間。今回の大会参加を聞いて、急遽電話していただいた。ほんとに励みになった。
水上葡萄園が87Km地点の第2給水ポイント。(17時10分:11時間10分経過)
カップラーメンやビールがうまい。今日これで2本目。なぜか、葡萄を食べ忘れた。疲労が蓄積した証拠だ。到達の記念に写真をとっていただく。ここでも、到着は40番くらいと、かなりペースが速い。(時間的にはこのままのペースだと100Kmゴールが13時間程度なので、けっして速くはないのだが)
。今日初めてのパンツ、シャツとも着替えを行う。最大の難関の笹子峠は夜間走行(歩行)で気温も下がる。上下のヤッケでしっかり防寒対策。そのあとは、夜通しの走行となる。今大会の一番の山場。ちなみに、旧道の笹子峠は武田勝頼の亡霊やら怪奇現象の霊感スポットだそうだ。なるべくかたまって行くことにした。(ちなみに昨年は大雨で大変だったそうだ。)
旧街道の峠の入口付近で、左足底に違和感。靴の裏をみるとソールのラバーが逆向けて、はがれてきている。歩きづらい。(今回のために、1週間前に購入したばかり。後日上野B&Dで交換してもらった。)
峠は、曇っていて月がたまに見え隠れする。先日来の雨で一部路肩がくづれていて、途中から車は通行止め。新潟からきた女性、名古屋方面、神奈川方面から着た男性の計4名で、参加した大会の様子や去年の様子など話しながら歩く。とにかく、皆さん歩くのが速い。聞くところによると、皆さん山岳レースも何度となく参加しており、つわものぞろい。特に女性は昨年も完走経験あり。すごい。 時折、冷たい風が吹き付けなんとなく不気味だ。とにかく、怪奇現象もなく、頂上のトンネルに到着。主催者の海宝さんらスタッフがねぎらってくれる。記念に写真をとってもらう。ここから坂を下るが、皆さんまたまた速い。離れていくと不安だし、恐いので、追いつくのがやっと。足もパンパンにはってきた。
峠をくだって、国道20号線に合流すると第3給水ポイント。これが大会で準備した最後のポイント。104Km地点(午後8時18分:14時間18分経過)。40番目あたりの到着。依然早いペース。あたたかい、スープやうどんがおいしいが、さすがに100Km到達で胃腸がまいってきた。喉をとおらない。すきなビールもおあづけ。携帯電話が鳴り、会社の同僚宮島さんから、明日高尾近郊に住んでいる若手スタッフ山形さんが応援にくるというので、高尾付近の到着時間が知りたいという電話。周りのランナーにききながら、概ね朝の7時前後と応える。うれしい電話であったが、少々プレッシャー感じた。せめて、東京都(高尾まで約50Km)までは走らなければ。Tシャツは汗でびっしょり、再度着替える。Tシャツと背中の間にタオルを入れて汗取り対策(けっこう効き目あり)。疲労感と体温が下がっているせいで悪寒が走る。今晩の走行(歩行)が最大の山場だ。ぞくぞくと後続ランナーが到着し、テントが一杯になってきた。30分ほどの休憩を終えた。ほんとのところ、30分ほど横になりたかった。
お先に行きますと元気に出たものの、下り坂を3Kmほど歩く。下り坂は走る、平地も走る、登りは歩くの鉄則がままならない。116Km地点(22:50分:16時間50分経過)。12Kmに2時間かかった。
30日の部
大月の駅前のベンチで休憩中の神奈川のYさんに声をかける。暗くてよく見えないが、疲れているのかな?
ここから上野原駅まで約20Kmが長かった。行き交うランナーもほとんど見当たらない。Yさんに追いつかれ、追い抜きの繰り返し。
半分以上が歩きだ。暑くなっては、半袖。汗をかいては、コンビニで給水。体が冷えてはヤッケに着替えの繰り返し。歩道の途切れる箇所が多くなり、そこを大型トラックが勢いよく通過する。恐怖。足元を照らすが、突然前が真っ暗、あわや川に落ちそうになる。橋の欄干に捕まろうとして、持っていたペットボトルがぶつかって破損。素手なら怪我をしていたかもしれない。夜道は危ない。しかし、意外と緊張感からか眠気はしない。夜中の3時ごろであろうか、上野原駅に到着。(131Km地点:21時間経過)
笹子峠で一緒の去年完走した女性が相模湖で午前5時が完走のリミットといっていた。今のペースがぎりぎりのようだ。
途中、歩道でまるまって寝ている男性がいた。声をかけようとしたが、寝ながらの休憩のようなので、邪魔をしないでおいたが、寒そうだった。大分疲れているようだ。まだ歩ける自分はがんばらなければ。下りは走り、平地もできるだけ走る、登りは歩く。コンビニでみかん入りゼリーで栄養補給しようとするが、一口以上食べられない。そろそろ限界が近いか?
空がぼんやり青く明るくなりはじめたころ、最後の難関大垂水峠を登り始める。これを越えればお江戸だ。数人の男女のランナーに追いつく。登りは皆で歩く。
これがまた速いこと。女性はどんどん速くなって、最後にはおいていかれた。登っても登っても頂上が見えない。さすがにばててきた。足がパンパン。頂上で午前6時頃。坂を下るが、走るのがつらい。ゆっくりゆっくり下る。形態電話が鳴る。昨晩の同僚からだ。高尾野駅まであと数キロと告げる。元気に受け答えするが、体はばてばて。
午前6時45分。京王線高尾山口駅前のコンビニに入る。お茶を飲むのが精一杯。食事がとれないというより、食べる気がしない。胃腸がだめになったようだ。加えて、あと11時間で55Km歩く気力がない。普段なら時速5〜6Kmなら十分間に合う。しかし、ペースが落ちていく中で11時間歩き続ける気力がない。春に高田馬場から高尾山口まで約60Km走破したこともあり、とりあえず、このルートは経験したことになる。また、このまま無理すれば完走できるかもしれないが、故障(足腰だけでなく、内臓)は絶対したくない。
午前7時前に、大会事務局へ電話でリタイヤ宣言、直接帰宅する旨伝える。25時間160Km走破で終了。
今回のまとめ
完走できなかったのは非常に残念であるが、峠越えがあるにしても、今の実力の限界に近い。
以下、次回のための教訓。
(1)体調の整えは大切。100Km越える大会は、前泊で万全を期す。
(2)昼夜の温度差は疲労度を深めるので、着替えは長袖など十分に用意。
(3)歩行力の強化が重要。とにかく、参加者の山歩きの速さにはほとほと感心。200Kmは走りのほかに歩きも鍛える必要ありの実感。
追記;
会社の若手スタッフ山形さんの車で、自宅まで送ってもらう。途中、車酔い。自宅でシャワー浴びるも悪寒が走る。
夕方目を覚まして味噌汁とごはんを食べる。高橋尚子がベルリンで世界最高の2時間19分台でゴール。世の中にはすごい人がたくさんいるものだ。翌日、普段通り出社。1週間ほど疲労が抜けておらず、夕方になると若干軽いめまいがする。翌週の日曜に皇居までの往復20Kmでランニング再開。春のお台場24時完走に続き体の負担が大きかった。
次回は11月11日、
渡良瀬フルマラソン!!
お楽しみに。