36.チャレンジ富士五湖117Km

本当のウルトラマラソンランナーになったぞ!!

2000年(平成12年)4月22日



本番前の最終練習

    2週間前の4月8日、会社の花見で青梅郊外の御岳に向かう。走行距離58Km。
本番の練習かねて、4時半、高田馬場スタート。
ジャニーラン用のリュックに着替え、朝食用のパンを詰め込み、ウェアーは本番と同じ。
新目白通り、新青梅通り沿いにひた走る。1時間で10Km(6分/Km)ペース。
給水給食、トイレ時間を含めて約6時間で到着(実走行時間5時間)。

今回の目標(マラソン初めてこれまでの最大の目標)

   いつものように、下記のように時間設定を行う
   
第1関門(〜50Km)     :6分   /Km(スタートから5時間)
    第2関門(50〜75Km) :6分半/Km(スタートから7時間42分)
    第3関門(75〜97Km) :7分/Km(スタートから10時間16分)
    ゴール(97〜117Km) :7分半/Km(スタートから12時間47分)
  ただし、ペース配分が確実なのは、実績のある60Km程度まで、あとは本当のところ予測がつかない。
  とにかく、前半、中盤、後半の登りがきつそうだ。
  調子がよければ、13時間半から14時間でゴールしたいものだ。

会場へ到着

前日、早々に帰宅し、家族と夕食、次女(5歳)を風呂に入れて、愛馬プラドで富士山麓北公園に向かう。
出発前に、前々からフルマラソンではないと家族に言ってのにもかかわらず、
「フルマラソンなのに、なんで4時半スタートなの。早く帰ってきて買い物につれてって。」
フルマラソンでも1日に3回走るんだと心の中でつぶやいた。
愛情あふれる、家族の会話。

会場には午後11時すぎに到着。夜中に激しい雨。車の屋根に激しく雨が叩き付ける。
午前3時半の目覚しで起床。まもなく、何もかもが始まる。雨はすっかりあがっていた。

午前4時30分スタート

 あたりは真っ暗。天気予報では、朝は気温8度前後。緊張のせいか、寒さは感じない。
受付けを終え、50Km,75Kmでの着替えを袋詰めする。
ゼッケンをつけようとするがうまく行かない。時間が思ったより迫ってきて、
イエローチップ装着、インスタントカメラ、鍵、小銭、パンなど忘れ物がないか心配。
トイレは込んでて断念。マラソン仲間のUMMLの集合場所へ行く時間もない。
顔を洗う時間もなくて、はみがきをサイドポケットにいれる(何してるんだ?)。
ロールパンを3個口にほうばる。
スタート地点は、間寛平(100Kmの部)がスピーチ。盛り上がっている。
吉本興業の若手9人(117Kmの部)が参加しているらしい。赤いたすきをかけている。
UMMLの方に声をかけられ、写真をとっていただく。
午前4時半、真っ暗の中をスタートした。うっすらと雪化粧の富士山と月が見送ってくれた。
 
山中湖、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖、西湖、河口湖と1周する117kmのスタート。

前半の部(〜50Km) :気分はマイペース。

 10Km、20Kmとジョギングペース。タイムも1時間で59分前後。
途中トイレによったり、パンをほをばったり、写真を撮ったり、徐々に緊張感がとける。
忍野八海をとおり、15Kmすぎから、山中湖湖畔に入る。
つり客で結構にぎわっている。晴天のもと、空気は澄み、雪化粧の富士山を眺め最高の気分。
時刻はまだ、7時。 写真を数枚パチリ。
山中湖を1周して、 忍野へもどる。30Km過ぎから、5、6人の集団の先頭に立つ。
ペースを落として、前を譲ろうとするが、私をペースメーカにしている様子。
仕方なく、30〜35Kmエイドまで、5分半/kmペース。走りにリズムが出てきた。
40Km地点で4時間経過。予定通り。
45Km手前で河口湖大橋。沿道の方に頼んで写真をとる。
ここまでは、途中坂があったものの、まだ苦にならない。
途中桜が満開。カメラマンが多い。女性の方に富士山と桜と河口湖をバックに写真をとっていただく。
河口湖の北側(林間学園)が第1関門の50Km。着替えはキャンセル。
タオルで顔を洗い、トイレで休息。お腹の調子は悪くない。
時刻は9時40分。予定より10分ほど遅れ。さすがに、足に疲労感がでてきた。
されど、何度も練習で走った距離。まだ不安はない。
ここで、目標チェック。後半のバテを考えて、正午までには70Km地点に到達したい。

中盤の部(50〜75Km):登り坂の気になる疲労度アップ。
河口湖に別れを告げ、西湖に向かう。足和田役場前から突然の登り坂。約1Km
歩くランナーが目立ってきた。登りの歩きは結構疲労する。
歩けばゴールは遠のく。遅い速度でも走れば歩くより速い。
55Kmエイドで多めの休憩。景色のよいところで写真をこまめに撮っている30代のランナーと並走。
富士をバックに写真をとりあう。彼氏はサロマ湖100Kmを12時間以内目標の練習で参加しているとのこと。
走りは軽快で、西湖周辺ではペースメーカーになってもらう。
6分弱/Kmペース。60Km過ぎが上九一色村、青木ガ原樹海。なだらかな登りが続くせいかペースは落ちてきた。
10Km70分ペース。心配の種である以前に骨折した右すねの筋の痛みはない。
太股、ふくらはぎの疲労は溜まってきているものの、軽いストレッチで疲労回復。
樹海から65Kmエイドまでは、長い下り。橋が3本もかかっており、下を除くとぞっとする。観光バスも何台も通過。
65Kmエイドでソフトクリームを食べる。冷たさと甘さで疲労回復。30分遅れスタートの間寛平には追いつかれなかった。
ここから、精進湖に向かう。静かな湖畔の沿道が続く。ランナーの間隔も途切れ途切れ。
12時40分頃第2関門75Km地点に到着。トイレで用を足し、靴下を取り替える。
雨を想定した取り替えようのシューズやウェアは使わずにすんだ。
うどん、くだものなどでしっかりと給食。胃腸の調子はいい。コールドスプレーをかけ、ストレッチを念入りに行う。
足はパンパンに張ってきた。もう未知の距離。不安は残るが天気は最高。
午後4時までに100Km地点到達ならなんとかなるか。残り17Kmを2時間半。1時間8Kmでもおつりがくる。

後半の部(75〜97Km):練習の成果を期待
ここからは、未知の距離。本栖湖10Kmを1周。初心に戻って、ペースを落として楽な呼吸を探して維持する。
ゆっくり走れば筋肉もほぐれてくる。まさにLSD開始。
2.5Kmごとの表示でペースをチェック。休憩込みでペースは7分/km。
もうペースアップは無理。5Kmごとのエイドが待ち遠しい。ランナーはもうまばら。
観光客の車は結構多く。スピードを出して走っている。後ろ向きに走っている117Kmのランナー発見。
ひざがわらってきたので、彼独特のストレッチとのこと。
「ころんで怪我したら、かついで走れませんよ。時間はまだ、たっぷりありますよ。」と声をかえると、
「ありがとう」と帰ってくる。向こうも余裕があるが、私もまだまだ大丈夫のようだ。
本栖湖を終えると西湖へ向かう。90Km地点は樹海前の橋のかかった登り坂。
休憩がてら、ついに歩きをいれる。登り終えたら90Kmエイド。入念にストレッチ。水も十分に補給。
あと、7Kmで第3関門。ここまできたら、まずは100Km達成せねば。
95Kmエイドでも入念にストレッチ。走りはじめても呼吸が荒くなる。ペースが速い証拠。
ゆっくりゆっくりを心がける。前方に見える年配の女性に並走。足取りはしっかりしており、途中のエイドで何度も見かけた。
ペースを彼女にあわせると、徐々に楽になり、登りに入っても楽になる。ついに97Kmポイントが見えた。
ここでは、リタイアバスが待っていた。117Kmリタイアの多くはここで脱落とのこと。
天国と地獄の境目といったところか。
今まで一度も経験のないマッサージを受ける。もも、ふくらはぎを乳液剤とともにさすってもらい、筋肉の疲労が取れていく。
「ゴールで待っていますよ。」の声に送られ、あと20Km!!。

感動の部(97〜117Kmゴール):感動・・・・とは。
こころなし、マッサージで気分爽快?。
ところが、97Kmから100Km地点までがものすごく遠く感じる。100Kmについたら、歩きながらの休みだ!!
100Km地点で11時間50分経過。なんと12時間をきった。
サロマなどの100Kmマラソンは制限時間が13時間ほどなので、自分ながらたいしたもんだ。
ゴールまで17Kmを2時間40分。貯金はある。
50〜55Kmの登りに苦しんだ坂を下り、河口湖、そしてゴール。
普段ならどんなに遅くても2時間コース。気持ちとは別に、呼吸が乱れる。ペース配分が難しくなる。
100〜105kmまで、歩きが多くなる。自動販売機で水を購入。
1Km10分の通勤ウオーキング並みでいいのだが、疲労度合いから、2時間以上も続くとは思えない。
まして、最後の登り4Kmのスタミナも残したい。今、少しでも走れば歩くより速い。
の中は計算ごとばかり。前方の117Kmランナーも歩きと走りが混じっている。
置いて行かれないようにと心がける。105Kmのエイドは皆疲労困ぱい。
ボランティアの皆さんに「ここまで来たら、気力だね。リタイアするのなら、もっと手前だよ。」はげまされる。
110Kmまでの5Kmは河口湖から国道の緩やかな登り。
「苦しくなったら、初心に返る。足にまめができたわけでない、黒つめもない、ひざも痛くない。
痙攣しているわけでもない。水も食べ物も胃に入る。今日のために、50Km走や先輩型のアドバイスを実践してきた。
やることはすべてやってきた。
ただ、呼吸がくるしく、ももがあがらなくなってきただけ。」心の葛藤が始まる。こういう時が正念場だ。
前後に年配の男性、女性。足を引き摺るもの、歩いているもの。ペースメーカーを探す。前方に年配の男性。
遅いが、しっかりとした足はこび。並走する。ほとんど男性の肩に顔がつくくらい寄り添う。
少しずつ息が整う。楽になる。足の筋肉も和らいできたような気がする。いつしか、後方に引き離してしまった。
まだまだ、余力があるではないか。
ついに110Kmエイドの富士急ハイランド付近。制限時間まで1時間10分。あと7Km。
走れるところまで、とにかく走る。ただそれだけ。頭に水をかけ気合を入れる。
船津登山道に入る。1Kmも登ると歩きはじめる。大股で、大きく息をして腕を振り上げる。歩いている人、走っている人を数人抜きさる。
それでも、1Km9分ペース。15分ほど歩く。最後まで続くわけがない。なんとなく坂がゆるくなる。ゆっくり走ってはまた歩く。
交通整理のボランティアから「あと800mで登りは終わり。あとは下り。ゴールまで2.5Km。」
制限時間まで30分ほど。
最後の115Kmエイド。もう真っ暗。自分の時計では6時35分。エイドの方に正確な時間を聞く。36分。1分違い。
休憩中の117Kmランナーから、もう歩いても大丈夫と励まされる。
「つまづいて、ころんだら何が起こるかわからない。あせらず、落ち着いて行こう。足元をよく見て一歩づつ。」
自分に言い聞かせて、ひしゃくで頭から水をかける。気温は低いはずなのに、寒さを感じない。

ゴール:汗、涙、時間、思い・・・

ゆるやかな下り坂が続く。たった2Km。もう、走りきれない。走っては歩き走っては歩きが続く。
抜かれることもなく、追い抜くこともなく、時間が止まったような暗闇をひたひたと足音が響く。
前方に、明かりが見える。陸上競技場に隣接した野球場。涙が込み上げる。
やっと帰ってきた。
気持ちははやる。早くテープをきりたい。競技場の入り口で整備の方からあと、500mと声がかかる。
「ありがとうございます。」涙声で答える。トラックの入り口では、声援が送られる。
トラック内には歩いたり走ったりしている数人が暗闇の中でうごめいている。
ゴール前にはこうこうとライトが付き、ゴールしたランナーのゼッケンと名前が呼ばれている。
あと、200、あと100m。そしてゴール。万歳してゴールだ!!
ボランティアのおねーさんが、完走記念バスタオルを肩からかけていただいた。
涙でよく見えないが、手元時計で午後6時56分。制限時間4分前。走行時間しめて14時間26分。
 

 追記;ゴール後、急に、悪寒と足腰に痛みが走る。ボランティアのカレーライスも2口以上食べられない。
足の裏が痛くて階段を降りるのがあぶなっかしい。初フルマラソンの時と同じだ。気持ち以上に、体は疲労困ぱい。
東京までの高速道路が長く感じた。その夜は、何度も目が覚め、翌日(日曜日)昼過ぎまでベットから出られない。
夕方から、ストレッチを開始し、家族と買い物。普通の生活にもどった。