33.第12回大田原マラソン

ついに悲願の公認記録サブフォー達成!! 

スタート前の余裕?

午前4時半に起きて、国道4号線を北上。8時前に大田原美原公園競技場に到着。受付、食事、体調を整え、10時40分スタートに備える。開会式には、谷川真理も10Kmに参加。気温11度。曇。コンディションは良好。

目標はサブフォー。

月間200Km以上を3ヶ月続けてスピードアップ練習も取り入れ、3日前の会社の駅伝大会で最後の追いきり。準備万端。1ヶ月前の未公認ながら、3時間46分台は大きな励み。この大会は、15.4Kmと35.4Kmに関門があり、特に15.4Kmは1時間30分で5分10秒/Kmペース以内で走らなければならない。4時間で競技打ち切りとなる厳しい大会。参加者も、1000人程度でそのうち、陸連登録者は約250人とレベルが高い。その分、スタートでも、混雑はなさそうである。

作戦

15.4Km(5分10秒/Km)の関門をクリアするため、4分50秒前後/Kmで走る練習を10月から始めて、やっと、1ヶ月前からペースが体に身に付いてきた。昼休みに会社から代々木公園内2周の7.5Kmがチェックの対象となり、ピッチ計(172〜173/分)に合わせて走る。

この関門を過ぎたら、体の調子に合わせて、20Km過まで引っ張る。20Kmからは、普段のジョギングペース(5分20〜40秒/)で30Kmまで、残り12Kmは5分台/Kmを維持する。締めて3時間45分なり。

いざ本番

最前列が招待選手、次に登録者、一般参加者と続くが、参加者が1000人程度なので、スタート地点がものすごく近く感じる。トラックを1周して、道路へ出る。トラック内は5分/Kmペースといい感じなのだが、道路に出ると、周りにつられて、ペースが速い。大集団なので、ピッチ計の音がじゃまになってはと思い、15分間程度は使わないでいた。最初の5Km地点。23分30秒。幾分速いがまずまず。まだ、息が整わない。10Km地点でもペースは変わらない。まだ、気持ちペースが速くピッチ計としっくり行かない。関門15Km地点でもペースは変化なし。順調である。帽子にはさんだ、タイムテーブルとほぼ一致。

20Km地点で区間5分10秒/kmペースに入る。これも予定通り。このまま5分30秒/Km前後で、ハーフ地点、25km地点を通過。専門書によると、20Kmから25Kmまでは当日の調子が良くてもペースを上げないようにとかかれているので、無理はできない。でも、さすがにハーフを過ぎてからは疲労を感じてきた。なんとか35Kmくらいまではこのままのペースで行きたいと思いながら走る。ピッチ計とは遅れ気味になりがち。

25Km過ぎから、体に変調有り。ピッチ計と体が気持ちよく合ってきた。呼吸は自然で、疲労感がない。ランニングハイの状況に入っているようだ。併走していた選手の差は広がり、数十m前の選手もじわじわ近づく。前半追い抜かれた選手を抜く機会が多く、気持ちが良い。途中、飼い犬を伴って走る選手を発見。数mあとに犬が跡を付いていく。給水所では一緒に水を飲んでいる。周りの選手や沿道から声援が送られる。

30Km過ぎから、足の疲労感が増す。ピッチは同じであるが歩幅が落ちた。残り12Kmは、自宅の練習場所である江戸川橋公園2往復と言い聞かせて、ジョギングペースをイメージする。35Kmまでが長く感じた。区間タイムは5分30秒/Kmペースを維持。4時間以内は確実。

40Km地点で区間タイムは、5分50秒/Km。腿の上がりが悪く歩幅も小さくなってきた。腕の振りでピッチを維持する。自宅の練習コースをイメージする。沿道の応援が励ましになる。残り2Kmは腕振りでなんとかペース維持。4時間を切れるという実感が湧いてきた。沿道の声援も多くなる。今までの思い出が頭の中を駆けめぐる。時計をみると、がんばり次第で3時間40分を切れそうだ。競技場に入る手前からスパート。トラックに入ってから電光掲示板の時刻表が目に入る。最後のがんばりで3時間39分25秒。夢のサブフォー達成!! 感動ものです。ゴール後骨折した右すねをさすってしまいました。

追記:群馬でジョギングを初めてから3年と3ヶ月(途中、思わぬ怪我(骨折)で5ヶ月リタイヤ)。フルマラソン4回、ウルトラマラソン2回を含めて過去34回の大会に参加。全走行距離3500Km。今までの成果がここに結集。次回からは本格的にウルトラ100Kmに向けて新たに再出発。

12月はサイボーグから人間に復活するため、年内の大会はこれでお終い。来年2月は彩の国さいたまマラソン!